火の歳時記



NO59 平成21317





片山由美子

 
  【火の歳時記】第22回 嵯峨の柱炬(はしらたいまつ)


 京都市右京区にある清涼寺は別名を嵯峨釈迦堂といい、一年を通じてさまざまな行事が行われることで知られている。四月上旬には嵯峨念仏の名で親しまれている嵯峨大念仏狂言が行われるが、その前の三月には京都三大火祭の一つと称される行事がある。
 三月十五日、この日は釈迦入滅の一ヶ月後にあたり、昼は涅槃図を掲げて念仏を唱え、夜になると釈迦の荼毘の様子を再現して供養するために大きな松明を燃やす。そこから「嵯峨の柱炬」あるいは「嵯峨御松明(さがおたいまつ)」「柱松明(はしらたいまつ)」「お松明」などと呼ばれている。いわば月遅れの涅槃会なのだが、江戸時代の歳時記では二月十五日に行われると記されている。涅槃会はいまでも旧暦の二月十五日に催している寺も多く、清涼寺で新暦の三月に行うようになったのは、この松明の燃え方によってその年の作柄を占う行事でもあるため、農作業の始まりの時期になるよう、旧暦を新暦の季節に合わせたのであろう。
  松明もいかに嵐の山近し          野  明
  松明や鶴の林の夕煙            方  山

 野明の句は嵐山に近いという地理的な事実を読み込み、大松明が嵐に煽られる様子を想像させる面白さがある。
 さて行事であるが、八時頃に、境内に立てられた三基の大松明に護摩木の火を移した藁束を投げ込んで点火する。松明は丹波地方で集められた松の枝や葉を藤蔓で結わえたもので、直径約二メートル、高さ約七メートルの朝顔形の逆三角錘に作られる。火がつくと、僧侶だけでなく、一般の人々も加わって称名を唱える。燃え上がった大松明は夜空を焦し始め、お堂の屋根には火の粉が雨のように降り注ぎ、昼さながらの明るさとなる。三基の松明は早稲(わせ)・中稲(なかて)・晩稲(おくて)に見立てられ、その火の勢いで米の作柄を占うのである。
  高張りへ火の粉はねたり御松明       野上智恵子
  愛宕よりちらつく雪やお松明        茶樹 三胡






   

 
 (c)yumiko katayama
前へ 次へ 今週の火の歳時記 HOME