火の歳時記



NO60 平成21324





片山由美子

 
  【火の歳時記】第23回 薪能


 昨今は全国各地で薪能が行われ、しかも時期がばらばらであるために、季節感が乏しくなっている。今回はその薪能について検討しておきたい。
 薪能の起源は平安時代中期にさかのぼり、奈良の興福寺および春日大社で「修二会」の前行事として奉納された能にはじまる。当初は陰暦二月五日から十二日までで、修二会の薪献進の神事能だったが、しだいに芸能化して室町時代に薪能と呼ばれるようになった。はじめは大和猿楽の四座の太夫がつとめたが、江戸時代には観世を除く三座が行っている。そして明治に入ると行われなくなってしまったのである。
 現在の薪能は、太平洋戦争後、能楽の復興をめざすと同時に京都の観光行事のひとつとして再興されたもので、昭和二十五年に平安神宮で行われ、京都薪能として現在まで続いている。同二十九年には鎌倉でもはじめられるなど、しだいに全国へ広まった。現在は興福寺でも簡略化した行事として五月十一日・十二日に行っている。修二会とのかかわりからすれば当然二月ということになるが、かなり寒い時期であり、観光化の傾向が強まるにつれて気候のよいときに行うようになったのもうなずける。なかには納涼を兼ねて真夏に行うところさえあり、照明がわりに薪を燃やして行う野外能をみな薪能と呼ぶようになった。実際の薪ならともかく、電気をの照明をそれらしく見せかけているところなど、趣にかけるのは致し方ないであろう。

  あ 

  熊坂に春の夜しらむ薪かな         几 董
  笛方のかくれ貌なり薪能        河東碧梧桐
  鼓うてば闇のしりぞく薪能       石原 八束
  薪能五重の塔の黒装束         津田 清子
  薪能万の木の芽の焦がさるる      藤田 湘子

 最後の湘子の句は、あきらかに本物の火を焚いている薪能である。



   

 
 (c)yumiko katayama
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