NO66 平成21年5月5日 片山由美子 |
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【火の歳時記】第25回 菜殻火 |
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かつては初夏の筑紫平野の風物詩だった「菜殻火」も、いまでは見られなくなったという。乾燥させた油菜の種子を採ったあとの殻を燃やすことだが、そもそも最近は「油菜」という名前さえ知らないひとがいる。その花が「菜の花」というとやっと納得するのだが、なぜ「アブラナ?」と怪訝そうな顔をされる。種子から菜種油を採るのだといってもナタネアブラという名称自体がすでに前世紀の遺物のような印象を与える時代になっているのだ。菜種油が灯油として用いられていたことなど、時代劇でも見なければ気がつかないだろう。もちろん今も昔も食用にしている。 さて、菜殻火であるが、菜殻はもともと油をふくんでいるので勢いよく燃え上がる。農作業とはいえ、その様子が人々のこころを引きつけたのも無理はない。 |
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燎原の火か筑紫野の菜殻火か 川端茅舎 都府楼址菜殻焼く灰降ることよ 同 菜殻火といえば筑紫野という作品である。 菜殻火に古き月ある水城かな 武末春野人 くらがりに尾をふる馬や菜殻もゆ 同 |
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地元福岡の俳人の句で、「水城」は大陸からの攻撃に備えて築かれた土塁。大宰府には七世紀に造られたものの遺構がある。その水城の向こうから上ってくる月が古びて見えたのも菜殻火の明るさゆえであろう。火の勢いが思われる。二句目は、暗くなっても続く作業の様子がうかがえる。 |
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こなたなる闇にも菜殻燃えはじむ 大橋櫻坡子 菜殻火をふちどる雨の光りつつ 内藤吐天 天までも焦がさんばかりという火の勢いと明るさが思われる。一箇所ではなく、闇の中であちらにもこちらにもという幻想的な光景だ。多少の雨では火勢が衰えることもないのだろう。 鴟尾躍るしばし大和の菜殻火に 阿波野青畝 という句もあるとおり、筑紫平野に限らず、かつては決して珍しい光景ではなかった。 人間に夜なくばさみし菜殻燃ゆ 野見山朱鳥 筑紫を代表する俳人といえば野見山朱鳥である。朱鳥は主宰誌を「菜殻火」と名づけた。 |
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(c)yumiko katayama | |||
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