火の歳時記

NO80 平成21818


片山由美子

 
  【火の歳時記】第38回 大文字

 「大文字」として知られる京都五山の送り火は、八月十六日の行事である。立秋は過ぎても京都特有の蒸し暑さが続くなか、一万人もの見物客が市内各地を訪れる一大イヴェントとなっている。

  山の端に残る暑さや大文字           宋 屋

 京都の人々は大文字が終ると夏も盛りを越したと思うとのこと、江戸時代から変わっていないようだ。現在の送り火の様式が定着したのは江戸時代のことだというが、その起源については記録がなく、諸説が伝わっている。
①平安時代初期に、当時、大文字山麓にあった浄土寺が大火に見舞われ、本尊の阿弥陀仏が山上に飛翔して光明を放った。これにならって儀式に火を用いるようになり、弘法大師が大の字とした。
②室町時代中期の一四八九(延徳元)年、足利義政が近江の合戦で死亡した子・義尚の菩提を弔うために家臣に命じて始めた。大の字の形は、山の斜面に白布を掛け、その様子を銀閣寺から相国寺の僧侶・横川景三が眺め定めた。
③江戸時代の能書家・近衛信尹(のぶただ)が書いた文字により始めたと、江戸初期の資料に記す。
 これほどの行事でありながら起源が明らかでないというのは不思議である。研究者によれば、室町時代後期の戦乱の世にあって人々は怨霊を恐れ、霊を鎮めるための「万灯」を行うようになり、それが大規模化したのが大文字ではないかという。また、京都市北部で行われている「松上げ」も元は同じだといわれる。いずれにしても、山の斜面に炎で文字を浮かび上がらせるという発想は大胆である。

  大文字を待ちつつ歩く加茂堤         高浜虚子

 江戸時代の終わりには五山以外でもほかの字形に灯を点していたというが、その後は東山如意ヶ岳の「大文字」、西賀茂船山の「船形」、松ヶ崎東山の「妙法」、衣笠大北山の「左大文字」、北嵯峨水尾山の「鳥居形」の五つとなり、この順で点火される。

  大もじや左にくらき比えの山          蝶 夢
  大文字やあふみの空もただならね        蕪 村
  浮き上る煙の下の大文字           松尾静子
  燃えさかり筆太となる大文字         山口誓子
  帆からともなく船形の火となりぬ      粟津松彩子


 八時に始まり、九時にはほとんど火が落ちてしまうという決して長くはない時間であるところが、送り火らしいはかなさを感じさせる。

  送り火の法も消えたり妙も消ゆ        森 澄雄

 大文字は、七十五基の火床を作り、そこに六百束の赤松の割木を積み上げて点火する。一般の人々が志納した護摩木も火床で焚いてもらうことができる。火床に残った消し炭は厄除けや魔除けになるといわれ、頂いてきたものを軒先に吊るしておく。煎じて飲めば腹痛に効くそうだ。
 近ごろは他の地方でもこれに類した送り火の行事を行い、「大文字焼き」と称しているところがあるが、京都では決して「大文字焼き」とはいわない。「大文字の火」を略して「大文字」というのである。京が焼き焼き討ちにあった歴史を思い起こさせるからだともいう。


   
 
 (c)yumiko katayama

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