いしだ |
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第13回 2009/04/26 あ | |||
原句 一葉の井に触れてみし春時雨 樋口一葉の使っていた共同井戸が残っていて、今も使われていると聞きました。一葉の旧跡を訪ねてみた作者はそっと井戸に手を触れて、ひととき昔を偲んだのでしょう。 とても情緒のある句ですが、春時雨という季語がどうも取って付けたようにみえてしまいます。実際に雨が降ってきたのでしょうか。あるいは井戸と春雨を結びつけたのは水というキーワードかもしれません。その連想がこの場合はあまり響いてきません。 おそらく、上五中七が一気に「春時雨」にかかってゆく形なので、春時雨が上五中七の「結果」に対する「原因」になってしまうからでしょう。ところが原因にはなり得ないので、ここに矛盾を感じてしまうのです。 添削例1 春時雨一葉の井に触れてみし ひっくり返すとずいぶん印象が変わりました。二つの要素がはっきりと切れて、いわゆる「取り合わせ」の句になるからです。でもまだ落ち着かない気がします。上五と下五と大きな切れが二つあります。上五の切れを活かします。 添削例2 春時雨一葉の井に触れてみて 歳時記を開いて季語をふさわしいものに変えてみます。 添削例3 春深し一葉の井に触れてみて |
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原句 降る雨はかすかなりけり余花の駅 素直な句です。余花というのは、遅咲きの桜の花、咲き残っている花のことです。浮き足立った気持ちで過ごした花時にくらべて、世の中も平静を取り戻したようです。 電車を待ちながらでしょうか。余花を愛でている作者に細かい雨の粒が見えています。「降る雨は」の「は」の限定は、大した降りでないことをちょっと確かめたような感じですが、それだけにこの部分が強調されています。 助詞を変えて下五の景をしっかり印象づけてみましょう 添削例 降る雨のかすかなりけり余花の駅 |
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(c)kyouko ishida | |||
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