感動を表現する推敲の仕方
石田郷子  いしだ


第21回 2009/06/28   

  原 句  天辺でさつき鳴きしは四十雀

 野鳥の季節感というのはなかなか掴みづらいものです。歳時記で「四十雀」を引くと、秋の項目に入っていることもあれば、夏の部に収められていることもあります。
 私にとっては四十雀は春の「さへづり」という季語を思ったときに浮かんでくる鳥で季感は春なのですが、それも地域によって異なるでしょう。近年、都会で雀より多くみかけるのが四十雀で、五月ごろ、その巣立ちをみかけたかたもいらっしゃるでしょう。夏の鳥として詠まれるのは、初夏に山地ではよく鳴き、活発に動き回って姿をよく見せるからでしょうか。
 秋季に入れてある歳時記は、おそらく「小鳥来る」の小鳥に四十雀も含まれているために、初秋、里へ下りてくる代表的な野鳥として挙げているのではないかと考えられます。
 それはひとまず措くとして、この句は夏の句として詠まれたものです。緑の濃くなった一本の木のてっぺんで美しくさえずった四十雀。それはほんの少し前の出来事で、作者は今し方聞いた声の余韻を「たしかにそうだった」と確かめているのです。
 「鳴きし」はこの場合は、回想の表現です。「し」は助動詞「き」の連体形で、必ずしも過去の回想とはかぎらないのですが、この場合はそう受け取れます。
 そうなると「さつき」ということばは、意味の上でやや重複します。というよりうるさい感じがしないでしょうか。
 「天辺で」の「で」も説明的な助詞なので、この二つの表現が一句の味わいを損なっているのです。「天辺で」とだけ言って、「木の」を省いたことは成功していると思いますので、もう少し整理してみましょう。

  添削例  天辺で鳴いてゆきしは四十雀

 
  

  原 句  藤豆の雨を含んで下りをり

 作者は、藤棚にいつの間にか実が下がっているのを写生してこの句をつくりました。けれど、「藤豆」は関西でインゲン豆と呼ばれる食用の蔓性植物。花は夏中咲き、その実は秋季の季語になります。
 今身のまわりで観察できるのは「藤の実」または「藤の莢」。「藤は実に」という詠み方もできます。

  添削例  藤の莢雨を含みて下りをり


 水平線

(c)kyouko ishida
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