感動を表現する推敲の仕方
石田郷子  いしだ


第49回 2010/04/27   


  原 句  朝霜の陽に綺羅なせる庭に佇つ


 今年はいつまでも霜が降りて野菜が高騰していますね。新茶の出荷もいつもより遅れるのではないでしょうか。
 霜は冬の季語ですが、晩春まで霜の降りることがあります。
 春に降りる霜を「春の霜」として詠みます。傍題としては「春霜(しゅんそう・はるじも)」「遅霜(おそじも)」「晩霜(ばんそう)」などがあります。
 この作者は実際には春の霜を見て詠んでいますが、句会ではうっかり冬季の句として詠んでしまいました。冬の句会でこの句を見るのと、春の句会でこの句を見るのとでは印象も違ってくるのではないでしょうか。
 それはそれとして、美しい情景であり、作者の驚きと感動がよく表れている句だと思います。
 ただ、やや饒舌で散文的なのが残念です。俳句らしい切れのよい作品にするには、「陽に」という言葉はなくてもよいでしょう。光は充分感じられます。

  添削例  春霜の綺羅なす庭に佇ちにけり






  原 句  花袋の眼鏡丸く小さき竹の秋


 この句の季語は「竹の秋」です。竹は春になると黄葉したように葉が黄色っぽくなり、葉を落とします。「竹落葉」も春の季語です。そして、筍が地面から顔を出し始めます。「筍」は初夏の頃の季語ですが、晩春から採れ始め、これを「春筍」と呼びます。
 さて、この句は「眼」という兼題でつくった取合せの句です。作者はまず「眼鏡」を連想し、以前見た田山花袋の写真の、丸い眼鏡を思い浮かべたのでしょう。文机にちょこんと置かれた眼鏡など想像されて、なかなか趣があるのではないでしょうか。上五の字余りもこの場合は味わいを深めているように感じました。
 気になったのは上五と下五がともに体言でブツブツ三つに切れた感じがあることと、上五が字余りになっているためにここでの切れが強く響いてしまって、中七が下五の体言に続いて読めてしまうことです。
 作者はおそらく中七の「小さき」で区切ったつもりで詠んでいるのではないかと想像しますが、それならばと、仮に「小さし」にしてしまうと、「竹の秋」が取って付けたようになってしまいます。ここは連体形から連用形に変えてみます。こうして見てみると、上五の字余りもちょっとした面白みを出しているのではないでしょうか。

  添削例  花袋の眼鏡丸く小さく竹の秋




 水平線

(c)kyouko ishida
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