いしだ |
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第50回 2010/05/11 あ | |||
原 句 空豆は初夏の季語になっています。実際には春先から出回りますが、旬を迎えるのは五月でしょう。莢が大きくなってくると逆立ちするようにお尻の方を上に向けるので、ソラマメの名で呼ばれます。「蚕豆」と表記することの方が多いかと思いますが、繭を思わせる形でもあるのでこの字を当てるのでしょうか。 作者は、蚕豆が好きで、八百屋の店先にあれば真っ先に目に飛び込んでくるような気がするそうです。 この句は、蚕豆を光として捉えたところに、作者の気持ちがこもり、若々しい感性を感じさせます。ただ、一句の組み立て方が一句を曖昧にしてしまいました。この形ですと、どうしても上五から中七に続けて意味をとってしまうのです。飛び込んでくるのは蚕豆ではなく「光」です。その光は蚕豆そのものでもあったのだと感じるのは一瞬後のこと。 まずは光が目に飛び込んできたのでした。 添削例 飛び込んでくる空豆の光かな 原 句 これも生き生きとして若々しい作品。大きな莢から一つずつ実をはずしてゆきます。その時の感じを「弾む」と言ったことで、作者自身の心の弾みが伝わってきます。 気になったのは、中七でした。「取り出す」はあまりにも説明的です。こういうときは、まず一歩ひいて眺めてみます。こうまで言わなくてもこれで充分ではないでしょうか。 添削例 蚕豆の莢剥く指の弾みけり 中七は連用形。もう一つ、こんないい方もあります。 添削例 蚕豆の莢剥く指を弾ませて 同じに見えますが、中七は終止形で切れる形です。 |
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(c)kyouko ishida | |||
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