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2009年1月10日 | |||
【1】トシガミ様 | |||
正月の時期には伝統的な知識や行為が華やかな年頭の感覚とともに思い起こされる場合が多い。正月の準備から新年の感覚が薄くなっていくまで、民俗学的にも重要な行事が各地でおこなわれている。 来年は十二支では何の年といった意識も久しぶりに年賀状などで思い起こされたりする。新しい暦やカレンダーをめくって、やがてくる季節に思いを馳せるひとも多いだろう。われわれの生活のなかには暦は三通りあって、ひとつは、現行の暦、新暦とか太陽暦というもの、もうひとつは旧暦と俗称し、正式には太陰太陽暦と呼ばれるものである。ただし、民俗学で重視してきたのはそのどちらでもなくて、自然暦という比較的狭い土地ごとの感覚に基づく生活のリズムにあたるものであった。これは、草木の生長や鳥獣の動き、雪解けの形や風の吹きかたで季節の推移を感じ取るもので、正確詳細に算出された暦とは異なり、多分に大まかで、その一方で妙に心に沁みいるものであった。自然との対話、長年にわたって積み重ねられてきた経験知によって伝承されてきたものである。それだけに人間的なものといったら冷静な暦学者に叱られるだろうか。 こうした自然暦のなかに、庶民の時間感覚を探る手がかりが表れている場合がある。新しい年はどのようにやってくるのか。泰然と座しているだけで時間が進行していくのではなく、正月支度を丁寧に進めていくことで、ようやく新年になるのであった。各地の伝承にあらわれるトシガミという神は、そうした行為やしつらえの数々から帰納的に推測されるものであった。 トシガミ(歳神)棚というのは正月棚とも呼ばれることが多く、正月を迎えるためにはなくてはならないもののように考えている地方もある。一方で、奥座敷の床の間などを清浄にして、歳神という文字や媼翁の絵を描いた掛け軸をかける場合もある。中国地方では俵に幣束などを添えて、そこに神が宿るように考えてきた。 門松は、古くからこうしたトシガミの依り代と考えられてきた。寒い時期でも瑞々しい緑を保っている樹木を組み合わせて―そのための木々は松に限られるわけではない―、神霊が降臨する標識としたのである。ただし、門松という名前から考えられるように、家々の戸口に設けられるものばかりではなく、屋内のトシガミ棚にも付随して作られる場合もあるし、台所の竈や便所など屋内の生活の要所にも類似の飾りを置く場合もあった。後者の場合は家のなかで祀られている神霊に新たな時間の到来を確認する意味合いもあっただろう。かつて山梨県甲府市とその近郊では、「トシガミ様の注連(縄)は十二シメ」といったそうである(大森義憲『甲州年中行事』、一九五二年)が、この十二という数はやがて訪れる新年の月の数であったかもしれない。 もともとトシという言葉は年や歳という意味ばかりではなく、稲をはじめとする主要な作物が種を蒔かれ、無事に成長して実り、収穫を終えるまでの一連の過程をさすものと考えられた(和歌森太郎『年中行事』、一九五七年)。そうした考えを伸ばしていくとトシガミとは、そうした農耕をつかさどり、見守る神ということもできるだろう。中国地方で俵をトシガミのように解することもその点から説明ができそうである。 農事や生業が順調であれば、来る年もまた安楽で豊かなものとなる。そうした感覚は自然のものといえるだろう。その一方で、東北地方ではオミタマ様やミタマ飯などと称して、トシガミと並行して、しかもやや異なった祭祀をおこなう場合があった。箕などに小さく握り飯などを盛って仏壇などに供えるのである。この場合のミタマとは先祖の魂を意味すると考えられ、中世まで、年の暮れに死者の魂を祀っていたこと(『日本霊異記』上巻一二話、同下巻二七話、『徒然草』第一九段ほか)と関連があるだろう。生活の歴史は、文字による記録だけではなく、こうした生活のなかの伝承にも残っている。 また、そうした先祖の記憶や家の歴史と関連させて、各地でよく聞かれるのは、門松をあえて立てないとか、正月には餅を食べないといった独特の家ごと、一族ごとのしきたりである。トシガミの伝承が家をめぐる長い時間の流れにかかわるものである以上、そうした慣習にも心配りすることが大切だろう。正月の神を考えるには、地方やムラ(村)といった大まかなとらえ方ではなくて、家や親族ごとの習慣や言い伝えに目を凝らし、耳を傾ける必要があるものと思われる。 |
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