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2009年4月10日 | |||
【10】みちのくの釈迦の誕生 |
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四月八日は花祭である。釈迦の誕生を祝って寺院では灌仏会、灌仏会が行われる。関東あたりまでの各地では春の花が咲きそろい、気温の上昇とともに伸びやかな気持ちになることが多い。 縁あって二〇歳台の終わりからの九年間を私は青森県の津軽で過ごした。民俗学を学ぶものにとっては大変に恵まれた環境で、村境の路傍に地蔵が並び、旧家にはオシラサマのような東北独自の神霊が祀られていた。そうした神仏にまつわる伝承を尋ね、考えるのに東北、とりわけ津軽の風土は極めて良質であった。 その一方で耐え難いと思われたのは冬の寒さ、そして長さである。統計上はどうなのか確認してはいないが、おおむね一一月に入ると毎年、雪の心配が始まり、降雪は四月半ばまで珍しいものではなくなる。関東に育った者にとって、この感覚に慣れるまでには時間がかかった。 その代わり美しいのは春である。一斉に花が咲き誇り、冬の重苦しい雰囲気をはらいのけてくれる気がする。ただし、そうなるのは五月の声を聞く頃を待たねばならない。みちのくで灌仏会、花祭の時期を新暦で考えると、雪の中の行事であることは珍しくないのである。関東から移り住んだ私にとって、成長過程でしみついた感覚が津軽の季節感に修正されるまではそれなりの時間を要したことも懐かしい思い出である。今でも雪を「掘って」の春の彼岸行事などの報道に接すると、冬の長さと春の伸びやかさとが新鮮に蘇ってくる。 同じ青森県でも下北半島まで行くとさらに季節の進行、春の訪れはゆっくりしている。東通村のある寺院―テラコと呼ばれている―で面白い習俗にめぐりあったことがある。この寺院では木彫りの誕生仏と思われる小さな仏像が大切に祀られているのだが、どういうわけか、横たえられている。テラコを守る老媼に理由を尋ねると、この仏さまは二月の涅槃会になるとお眠りになると言って横にされ、四月八日、すなわち誕生になると立てられるのだそうである。つまり、このテラでは小さな仏像を操作することで釈迦の入滅と誕生とを意識しているのであった。 これを仏教でいうところの涅槃会と灌仏会(誕生会)とを具体的に表現しているととらえるだけでは充分ではないだろう。なにやら冬眠を思わせるような木像の操作の背景には下北半島の長く重い冬の感覚がにじんでいる。釈迦像を横たえる時の冬の深まり、そして立てる時の春の蠢きのようなものを感じることが、この土地で生きるということではなかったか。そしてそれがインドに生まれた仏教が雪の中に根づくということでもあったのだろう。 季節は確実に巡って、春は訪れる。そうしたことへの信頼が、長い冬に耐えることを可能にする。北国の春にはそうした経験の積み重ねの中にも在る。 |
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大空にたゆとふ雲や花まつり 河合雅之 ![]() |
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