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2009年3月30日 | |||
【9】世試し桜 |
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高知県の山中、檮原村の本モ谷(おもだに)に世試し桜という桜の古木がある。この地の古老によれば、桜の花の咲き具合によって、近隣の農家の人びとはその年の作物の出来を判断したものだそうで、上の枝は比較的高いところに植える黍や大豆、小豆などの出来を、中の枝は水田の出来を、下の枝は低い土地に植える作物の出来具合を示すとされ、かつては四月下旬になると、この世試し桜の花の様子を見ようと多くの人が詰めかけたという。 田畑の作物の出来不出来は農業に携わる人びとにとっては大きな関心であった。こうした植物によって、作物の出来を占い、あるいは農作業の目安とする民俗は、この地に限らず、日本全国に残されている。文字によって暦が広く共有されるのとは別のレベルでこうした自然暦は、受け継がれてきた。厳密な計算によって作成され、全国共通のものである暦に対して、自然暦は、比較的限られた地域の生活経験から導き出されたものであるから、それだけに具体的で、暮らしに密着したものであった。 こうした自然暦は、日本人が季節の推移となりわいの順序をどのような見方でとらえていたかを示すものでもある。きわめて実戦的な自然観察、そして利用のありかたといってもよいだろう。 川口孫治郎の遺著『自然暦』(一九四三年)はこうした経験則を集大成した古典として民俗研究上、重視されてきた。その中から桜に関する知識をいくつか拾い上げてみよう。鳥取県八頭郡では、「山桜が咲いたら麻を蒔かにゃならぬ。」というが、鹿児島県甑島では「桜の花の散る頃鰤が多く漁れる。」といい、和歌山県西牟婁郡有田付近では、「八重桜の蕾が出来かけたらマグロが来る」といった具合に、海中の魚の動きをも桜の花の観察と結びつけていたことが分かる。 山口県の周防大島沿海では「鯨の花見」という言い方もあった。この地では桜の花盛りの頃に沖合に鯨が来遊することが常であったことから、このように言ったものらしい。海中の鯨も桜の花をめでるであろうという見立てはなんとも微笑ましい。 自然暦では、桜ではない樹木をあえて桜と呼ぶ場合もある。秋田県鹿角郡では辛夷を「田打ち桜」あるいは「田植桜」と呼び慣わしていて、この花が開く時期が田を打ち始め、農作業が本格化する時期であることを伝えている。四国では山桜の開花は甘藷の苗の植えつけと結びつけられていた。愛媛県北宇和あたりでは「山桜が咲くと甘藷の種をふせよ。」といっていたのはこのことをさす。 こうした伝承によると改めて日本列島の東西の長さ、そこに展開する季節の推移の多様性に思いを馳せることができる。さらにそれらが伝えられていくなかで、表現としても、いつのまにか洗練されていく。文芸とは言えないながらも、日本語表現の可能性の一端ということができるかもしれない。 |
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八重桜箱根の雪はみなきえぬ 水原秋桜子 ![]() |
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