神々の歳時記     小池淳一  
       水平線
2010年5月1日
【43】休日の民俗的起源

 春から初夏への時期にゴールデンウイークと称する連続した休日が設定されることは日本社会に完全に定着した観がある。新年度の気ぜわしさや慌ただしさも一段落して、入学、進学した子どもたちや若者たちも新しい身分にふさわしい顔つきになり、行動もそれらしいものになっていく時期でもある。
 梅や桜にはじまる開花のたよりも、さまざまな花が咲き競うかのような状態になり、だんだんと花が咲いているのが当たり前になっていくようだ。民俗学的には五月の節供―節句ではない―が田植えにさしかかる時期の行事として重視されるのだが、ここでは、休日そのものの問題として少し考えてみよう。
 民俗学では、ふだんの仕事を休むということは単なる休息や娯楽の要求を満たすという意味ではないことが指摘されてきた。通常の仕事を休むのは神仏を祀るためであった。従って休日の問題は、祭りの問題に他ならないというわけである。しかし、働いているのでなければ、祭りをしているというとらえかたはいささか極端に過ぎるかもしれない。激しい労働の日々が連続すれば、祭りの準備どころではなく、本当に体を休める期間が必要になるのは、今も昔も変わらないだろう。
 具体的な神仏を祀るのではなくても、何らかの超自然の存在を意識したり、それに祈願をするということは広く行われてきたことであった。林魁一が「労力移動と休日の数例」と題して岐阜県近辺の報告をしている。そのなかで村や組単位で田植えが終わると、「農休(のうやすみ)」と称して休業になるが、岐阜県稲葉郡の旧北長森村ではこの日に太鼓を打てば地に響いて作物がよく成長すると言っていたという(『民間伝承』一〇巻五号、一九四四年)。休日であっても作物の稔りを気にかけていたことがうかがえ興味深い。
 太鼓は民俗文化のなかでさまざまな場面に用いられるが、田畑の病害虫を追い払うために用いられる場合も少なくなかった。大森恵子は「太鼓の呪力―虫送りと御霊信仰―」(『念仏芸能と御霊信仰』、一九九二年)と題した論考のなかで、日本各地の史資料を博捜した上で、虫送りに使用される太鼓は、祟りをなす虫の姿となった御霊を鎮める呪具であったと結論づけている。かつての生活のなかでは太鼓は単なる楽器ではなかったことが先の林の報告とともに理解できる。
 田植えが一段落したあとの祝宴をサナブリと称する地域は広いが、どれも単なる休日ではなく、豊作のための人や牛馬までも総動員しての労働に続いて、神仏への働きかけをしていたと考えるべきだろう。肉体と精神とをともに生産力の向上のために捧げていたのである。
 青々とした苗が田一面に広がる風景は、長期間にわたった労働の成果に豊作への祈りが加わる空間である。そこには確かに夏の成長、そして秋の収穫への期待がある。そうした休み日は、今日の気ぜわしい娯楽追求の休日とは異なる静かな次の季節への準備でもあったように思われる。
 

 


   さなぶりや馬は馬屋に立眠り   川島奇北







       水平線


(c)zyunichi koike
前へ 次へ


戻る  HOME