『子供の遊び歳時記』

                 榎本好宏
2009/04/20



 第四回 「(たが)回し」ならぬ「リム回し」

 私が少年期を送った戦中、戦後は、時代が時代だから、子供の遊具は皆無に等しかった。せいぜいあったのは校庭の片隅の鉄棒と肋木(ろくぼく)(縦木に多数の肋骨(ろっこつ)状の横木を渡した体操用具の一つ)くらいで、遊びは子供が工夫するしかなかった。
 そんな中で流行(はや)ったのが自転車のリム回しだった。「リム」とは、自転車のタイヤとチューブをはめ込むための車輪で、中心から放射状に張られたスポークも外され、()びたこの車輪が自転車屋の店の隅に山と積まれてあった。その山の中から、錆びのひどくないリムをもらって来て、子供達はリム回しに打ち興じた。
 当時はガソリンの入手が難しい時代で、バスやトラックも木炭車といって、木炭を燃やして走らせていた時代だったから、汽車や電車を除けば自転車が主たる交通手段だった。その自転車はどこの家にも備えられていたが、大方が中古品でがまんした。今のように、婦人用や子供自転車があるわけでないから、小さい子が乗る場合は、ハンドルからサドルに差し渡してある棒の下から、反対側のペダルまで脚を入れて()ぐ「三角乗り」をするしかなかった。私も小学校(当時は国民学校)一年生の十二月に、群馬の片田舎に疎開して真っ先に覚えたのが、この「三角乗り」だった。
 一番頼りにしていたこの自転車も、タイヤやチューブの原料となるゴムがよほど入らなくなったのだろう、一時は「万年タイヤ」なる代物が出回った。本来、タイヤの中に、空気で膨らませたチューブを入れて、リムにはめ込むが、「万年タイヤ」の方は、タイヤの太さのゴムの(ひも)で、これを直接リムにはめ込むだけだから、クッションがない。町場のアスファルト舗装の道路なら我慢の範囲だが、砂利道にでも乗り入れようものなら(しり)が痛くて耐えられなかった。事ほど左様に、とても耐えられる代物でなかったから、くだんの「万年タイヤ」は間もなく姿を消した。
 さて遊びの「リム回し」の方だが、盛んになるばっかりだった。さながら戦利品のように沢山のリムを持ち寄り、その速さを競った。このリムの溝に押し当てて押す棒は、(かし)の木のように堅いものより、桑の木のような弾力のある棒が適っていた。これを走らす道も、県道のような車の往来のある道を避け、農道が舞台となった。(わだち)でえぐられた溝と、轍と轍の間の高みには雑草が生い茂る農道は、当初は戸惑うが、熟達してくると、その荒れ具合が妙味になる。
 遊び方は、一度も道を外さずに回って来られるかを競うものから、二人で並走するもの、リレー式でつなぐものなど、幾種類かの遊びを子供達は生み出した。中でも二人で並走する競技は走りやすいコース選びが勝敗につながるから、それへの工夫も必要になった。
 物の本によると、この「リム回し」は昭和になってから流行(はや)り始めた遊びとあるが、その遊びを(さかのぼ)ると、「(たが)回し」や「輪回し」に行き着くから面白くなる。
 「箍回し」の「箍」は、竹を割いて(たが)ねる(束にする)もので、(たる)(おけ)を外側から堅く締めるのに用いた。(ゆる)んだ気持ちを引き締める時に使う「箍を締める」や、羽目を外す時の比喩(ひゆ)「箍を(はず)す」など広義の使い方もある。私達の周囲に漬物用としてあった一斗樽や()()(だる)、風呂の手桶といった小さなものから、酒蔵(さかぐら)で使う酒樽のような大きなものまでいろいろ用途はあった。
 その箍を使った「箍回し」は、「リム回し」のように接地部分が平らでないから、箍を押す棒は竹の先を割ってY字型のものをこしらえ、これで押した。文化文政のころというから、今から二百年ほど前になるが、この遊びが流行った。その時代の随筆集で()()(むら)(のぶ)()(あらわ)した『()(ゆう)(しょう)(らん)』にも、「近ごろ都鄙(とひ)ともに小児(たが)回しと(いう)事をす。細きわり竹の先をリウゴの形に曲たるをもちて、(おけ)のたがを地上をまろばし押しゆく(なり)」と描写している。「都鄙(とひ)」とは都会と田舎の意、「リウゴ」は「輪鼓」と書き、(つづみ)の胴のように真ん中がくびれた形を言う。
 そのころ(たから)()()(かく)
  箍回し誰がたが回し始めけん
と、「箍」を「誰が」と引っ掛けた、いかにも其角らしい作品があるが、現代の歳時記には、季語として「箍回し」も「輪回し」も登載されていない。
 ところで、「箍回し」や「輪回し」、日本だけの遊びと思いきや、世界中にあった。古くは古代ギリシャにもる。その絵が当時壷に描かれていて絵として残っている。その壷に残っている図柄がまた面白い。古代ギリシャでも、輪回し遊びは子供の遊びと定まっていた。その遊びをすでに卒業するべき年格好の若者がまだ輪回し遊びに興じていたのを見ていたギリシャ神話の神、エロスが、若者を()らしめようと、サンダルで打ちかかる様子を描いたものである。
 そのエロスの神は、ローマ神話ではキューピッドとして描かれているが、気まぐれ、いたずら好きの神で、人間や仲間の神々を悩ませたというから、こんな図柄は結構楽しませてくれそうである。
 また、古代ギリシャの「医学の父」と呼ばれたヒッポクラテスは、胆汁(たんじゅう)過多症の運動療法として輪回しが特段の効果かあると取り入れているし、古代ギリシャの植民地イオニアの古代都市・プリエネには、若者の身体訓練用に輪回しを取り入れた記録が残っているところを見ると、私達の「リム回し」の効果も随分とあったようだ。
 中世以降も、この輪回し、ヨーロッパの子供の間に引き継がれていくが、回すと音の出る鈴をつけたりと華美になり、オランダの宗教改革の発端の地となったドルトレヒト市では十五世紀に二度も禁止令を出しているというから、子供の遊びも“ほどほど”というところがいいようだ。


(c)yoshihiro enomoto



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