『子供の遊び歳時記』

                 榎本好宏


2009/06/19
子供

 第七回 火薬遊びの興奮

 いつの時代もそうだが、男の子なら誰でも銃や火薬に興味を持つ。そういう私の少年時代にも、それらに触れて興奮した覚えが二度ほどある。太平洋戦争中の話だが、疎開前に住んでいた東京の我が家の近くに、陸軍戸山ヶ原演習場があった。蒲鉾(かまぼこ)型の長いドームが七、八棟並び、周囲には鉄条網が張りめぐらされ、警備も戦時中だったから、ことのほか厳重だった。
 仲間うちに軍人の子弟がいたから、この演習場の兵隊の休日と、鬼より怖い憲兵の休日が重なる日が月に一度ほどあることが分かって、その日の演習場はもぬけの殻となり、門衛すらいなくなる。手拭(てぬぐ)いを二つ折りにして縫った袋を下げ、少年達は正門から堂々と入れた。長いドームの奥に、天井まで届く砂山が築かれ、ここに標的を立てて演習は行われた。その砂山に掌を差し込むと、掌に数発の銃や機関銃の弾が残る。持ってきた布袋はたちどころに一杯になる。その間、恐怖と緊張にさいなまれたから、衛門を脱け出たところで、皆一斉にへたりこんだ。
 もう一つは、これも戦時中のことだが、疎開先の群馬の、東武線駅近くの空き地で、仲間の一人が焼夷弾(しょういだん)の不発弾を見付けた時である。連日上空にやってきて、工場や軍事施設に焼夷弾雨霰(あめあられ)と落として焼き尽くす怖さを、だれもが知っていたから、慎重に扱った。径十センチほどの焼夷弾から生ゴム状の粘液が漏れ出ていたが、それを(びん)に何本か抜き取り、秘密基地に隠した。この生ゴム状の代物に火を点けるとたちどころに燃え広がるが、水を掛けたのでは消えないばかりか炎が広がる。しかし砂を掛けるとすぐ消えるので、私達は常に砂袋を携行した。その愉悦(ゆえつ)感と共に仲間うちには罪悪感が常にあった。

    ※

 男の子の銃や火薬への興味に、私事を少し長く書き過ぎたが、ここからが「遊び」の本題になる。
 戦争が終わると間なく、私達の周辺に火薬のおもちゃが出回り始めた。子供達の間では
癇癪玉(かんしゃくだま)」と呼ぶのがそれである。厳密な意味での癇癪玉は、径一センチほどの玉の中に火薬を入れ、これを地面に投げ付けた衝撃で爆発するもの。突然投げ付けられた人が、癇癪を起こしたくなるのでこの名があるのだろう。
 物の本によると、絵の具の材料にもなる鶏冠石(けいかんせき)と塩素酸カリウムの混合物を砂にまぶして薄紙に巻き込んだもの――とある。これらは、火薬取締規則で、直径一センチ以下、重量も一グラム以下と制限されていたという。
 子供達がもっぱら癇癪玉と呼んだのは、火薬を包んだ紙粒(平玉)を色紙に張り付けた物だった。色のあせた赤かピンクの七、八センチ四方の紙に、縦横五粒ずつ、計二十五粒が付いている。
 当時子供達の間にはやった戦争ごっこのアルミ製のピストルに、一粒ずつ切って使った。そのほか運動会等のピストルの号砲にも使った。今では、このスタートの号砲と、ゴールのストップウオッチは、電気で連動しているが、当時はピストル音を聞いたゴールの計時員がストップウオッチを押したので、音速の関係で0.3秒ほど遅くなる。そこで苦肉の策として、計時員は、ピストルから上がる煙と同時にストップウオッチを押した。
 また、脱線したようだが、子供達は平玉の音と威力ではだんだん満足しなくなる。そこで考えだしたのが、平玉の火薬を抜き取ってまとめて爆発させることだった。一枚の二十五粒の平玉をまとめただけで、音は大きくなる。五枚、十枚……とその量は更に増え子供の一人の小遣いでは買えなくなると、何人かがグループを組み量をふやしていく。
 一度などは、この集まった量の火薬を紙に包んで平たい石にはさみ、道に張り出した松の枝から大石を落としたところ、予想より大きい爆発音になった。これを知った大人からきつくお(きゅう)を据えられ、この実験は以後沙汰(さた)やみになった。
 もう一つ胸をときめかせた遊びが、この平玉で作るロケットだった。当時の鉛筆のキャップは、鉛筆を差し込むと空気が抜けるように切れ目が入っていたが、もう一種切れ目の入らないキャップが出回っていた。アルミ製の銀色で、先は少し細く、途中から太くなっていて、さながらロケットの形をしていた。これがロケット遊びの素材である。
 このキャップの先に、当時どこの家にもあったセルロイドの端切れやフィルムを持ち寄り、細かく刻んで先端に棒で押し込んだ。次の作業は火薬の充填(じゅうてん)で、くだんの平玉を解いたものを使う。火薬は棒で詰めたりすると爆発する恐れがあるから、後ろから綿や真綿を詰め押し込んだ。このキャップ、材がやわらかく、口を親指と人差し指で押すと簡単に潰れるからこれで完成となる。
 ここから発射となるが、真上に打ち上げるための発射台を作る知恵は、当時の子供にないから、もっぱら水平の発射となる。このロケット、とんでもない方向に飛んだり、曲がったりするので、民家の周辺は避けて、利根川の河原や、見渡す限りの野菜畑の中で行った。小さな焚火をこしらえ、板の上に少し(しり)を出した格好でロケットを据え、焚火に少しずつ近付けていく。すると一瞬、白い煙を吐いて飛んで行く。ロケットには各自の名前の下に「号」が付いているから、出来栄えの優劣はその場で決まる。こんな仲間はみんな、還暦過ぎの年齢になった。


(c)yoshihiro enomoto



前へ 次へ 戻る  HOME