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私達の子供のころは、刃物が自由に使えた。と言うより必需品だったかも知れない。中でも折り畳みのナイフ、肥後守や切り出しナイフは用途によりいつも携行した。それがため手の切り傷は絶えなかったが、そのなかで刃物から身を守る術も自ら学んだし、仲間への危害の及ばないような心配りも身に付けた。この欄で扱う遊びの用具作りも、これら刃物がなければできなかった。
タイトルも「五・七・五」で「紙鉄砲・山吹鉄砲・杉鉄砲」としたが、これらは空気圧を利用した鉄砲で、うまくできれば強い「ポン」という音が楽しめたし、弾を遠くまで飛ばすことができた。弾は紙や山吹の髄、杉の芽だから人に向けても撃ったが、この際も人に害の及ばないよう、目だけは狙わない不文律があった。これも刃物の扱いの折りの他人への配慮と同様である。
まず紙鉄砲の作り方だが、弾を押し込む材として竹箸(ない場合は、割り箸の角を削って丸くする)を用意する。次に竹箸の太さに合った内径の竹を調達する。竹の根元の部分が合わなければ、ちょうどよい中ほど部分を使えばよい。有り合わせの古竹は、切るのに鋸が必要となるから、子供の目当ては材の軟らかい今年竹を探した。
竹は節と節の間の十センチ余を切る。今年竹は切り出しナイフを右手で当て、左手で押しながら、ごろごろと転がすと、じきに切れた。更にこの竹を三センチほど握り手として切るのだが、節の部分を使うと、弾を押し込む竹箸が安定する。この竹箸を本体の竹筒に差し入れ、先端に弾を込める余裕を一センチ残して切る。これで紙鉄砲の完成である。
次に弾にする紙の大きさの工夫だが、これは何度か失敗して覚えるしかない。弾にする紙も理想は和紙だが、私の育った昭和二十年代の前半には、そんなものが手に入らないから、よくて普通の半紙、悪ければ新聞紙を使った。濡らした紙の水を固く絞り、適当な長さに千切り、両掌で丸め、まず先端に詰め、二つ目は空気圧を送るため、後方から詰める。
ここでやおら竹箸で押すのだが、弾のできが悪いと、音もせず、先端からポトンと涙のように落ちる。これは弾から空気が漏れているからなのだ。この空気漏れもせず硬い弾を作るには、紙を口に含み、歯を強く押し当て何度も噛んで空気を追い出す必要があった。この弾を竹箸で強く押すと、「ポン」と大きな音がして、弾は遠くまで飛ぶ。この際、竹箸は繊維が硬いからいいものの、割り箸で作った代用品の方はすぐに折れてしまう。
次の山吹鉄砲や杉鉄砲となると、弾が小さいので、篠竹を使うことになる。竹と違って篠竹はどこにでも生えているから、根元から切り出しナイフで切ってきて自由に調達できた。山吹鉄砲の弾は、山吹の茎の皮を削ぐと中に海綿状、今の言葉で言うスポンジ状の髄が入っていて、これを指で丸めて使うのだから、それほど大きいものではない。もう一方の杉の芽も米粒を少し上回る程度の小ささだから、切った篠竹の内径合わせが必要になる。山吹の髄は大きさが調整できるが、杉の芽の方は、形が崩れるように押し込む程度の内径のものがよい。
この篠竹に弾を押し込む棒も自分達でこしらえた。当時は凧も紙飛行機も自分で作って揚げたり、飛ばしたから、これらの骨格となる竹を細く割った「籤」は、どこでも手に入った。しかし、こちらは篠竹の内径に合う太さに合わせて自ら作った。
当時はどこの町にも籠屋なる店が何軒かあって、板張りの作業場で、一本の真竹から細い籤に仕上げていく過程を、私なども学校帰りに座り込んで眺めたものである。このお陰で籤も自分で作れた。どこにでも転がっていて短く切った古竹を、鉈で適当な太さに割った後、籤に仕上げていく。籠屋のおじさんがやっていたように、膝の上に布を乗せ、左手で細く割った竹を膝に置き、切り出しナイフの刃をやや右手に向けて当て、左手で細竹を引くと、うまく削れる。何度も篠竹の内径に合わせて削っていくうちに、立派な籤は完成する。後は、紙鉄砲の手順で作業を進めると杉鉄砲も山吹鉄砲も完成する。
紙鉄砲の強い「ポン」という音には及ばないが、杉鉄砲の「パチン」という音も、山吹鉄砲の乾いた音にも、どこか郷愁を誘う音色がある。
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