『子供の遊び歳時記』

                 榎本好宏


2009/12/23
子供

 第十一回 泥だらけになって面子(めんこ)

 ビー玉や独楽(こま)と並んで子供の宝物だったのが面子(めんこ)かも知れない。私の疎開していた群馬県では、どういう字を書くのか知らないが面子のことを「めんち」と呼んでいた。ちなみに、私の手許にある『日本方言辞典』(佐藤亮一監修、小学館)で面子をひいてみると、その呼び名はあるわあるわ、全国の六十六の面子の方言が採録されている。そして、私が群馬で使った「めんち」は、遠く離れた徳島県海部郡で使われていることも分かった。その方言の多さは、いかに全国で子供に好かれた遊びであるかの証左であることを示している。
 面子遊びの方法はたくさんあるが、私の居た群馬では三通りの遊びがあった。その一つは、互いに出し合って置いた面子を順番に取っていく方法で、面子と地面の間に隙間のある側の地面に、自分の面子を(たた)き付けて風を起こし、相手の面子を裏返らせれば自分のものとなる。だから風に煽られないために、自分の面子を置く際は、面子の四方を内側に折って、風が通らないように工夫した。
 もう一つは、多分「足掛け」と呼んだと思うが、右利きなら(ねら)う相手の面子の右側に壁のごとく右足を置き、左側の地面に面子を叩きつけて風を起こす。一番目の方法では、起きた風が面子の下を通り抜けてしまうこともあるが、「足掛け」には壁があるため風が抜けず、比較的に面子が反りやすい利点がある。
 三つ目の遊びは、これまた記憶もおぼろだが、「風」と呼んでいた。前記の二つの遊びが相手の面子の脇に垂直に打ち付けるのに対して、「風」の方法は、右から、さながら野球のアンダースローのごとく面子を打ち据える。この方法だと風が起き、自分の面子を相手の面子の下に滑り込ませて、裏返せる利点がある。地面すれすれに面子を放すから、長い中指の爪の間に絶えず泥が入るし、時には爪をはがすこともある。
 もう一つ「風」の名の通り、風を起こす工夫も凝らした。誰もがやった方法は、学童服の前(ぼたん)を全部外し、風をはらみやすくしたことだった。だから学童服を着ていない時は、この「風」の面子に私は加わらなかった。

 面子は古くからの子供の遊びだったから、これらの遊びにいろんなものがあった。もっとも今の面子はほとんどがボール紙でできているが、かつては泥や板、鉛、ゴム、ガラスなどを材に使ったから、遊びも多用だったのだろう。
 例えば江戸で「きず」(大坂では「ろく」)と呼んだ遊びは、まず地面にいろんな形を描き、それを六から十六の区割りにする。離れた一定の位置から自分の面子を投げ入れ、次の者はそれをめがけて面子を投げ、先の面子に重なれば勝ちとして面子を取れるが、逆に区割りの線にかかると面子を取られるという遊びだ。
 この遊びは古くから行われていたらしく、安永四年(一七七五)に越谷吾山(こしがやござん)の著した方言の辞典『物類称呼(ぶつるいしょうこ)』には、その呼び名のいろいろを紹介している。いわく「京の小児はむさしと言ひ、大坂にてはろくと言ひ、和泉、尾張、下野、陸奥地方にては六道といふ。相模、上総にては江戸と言ひ、津軽も同じ、江戸の町々にたとへていふなり、信濃にては十六、江戸にてきづといふ」と。こんな風に呼び名のいろいろを並べられると、私達が子供のころはやった、親石一個と子石十六個で争う十六武蔵(じゅうろくむさし)にどこかルーツがありそうな気がしてくる。
 これも現在のボール紙製の面子ではできないが、「すか出し」なる面子遊びもある。これも地面に陣地を描き、じゃんけんで負けた方がそこへ面子一枚を置く。勝った方が自分の面子をぶつけて陣外に出せば勝ちだか、自分の面子が外に出た場合は脇に積んで置き、次に陣地から外に出した者がまとめてもらえる仕組みだ。この遊びから、「すか出し」の「すか」は、当てが外れるとか、見当ちがいの時に使う「すか」だろうか、と思う。
 面子の表には、古くから絵が描かれていた。江戸時代の中期から幕末にかけては、人気俳優の家紋や火消しの(まとい)、相撲、芝居などの絵が描かれたが、戦中、戦後に少年期を迎えた私のころは田河水泡の「のらくろ」の絵が記憶に残っている。今で言えば、さしづめイチローや石川遼あたりが面子の図柄になっていることだろう。

  

(c)yoshihiro enomoto



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