『子供の遊び歳時記』

                 榎本好宏


2012/05/17
子供

 第十ニ回  蛙を餌にザリガニ捕り

 田川で捕れる魚貝類の中でも、これほどの量が捕れて、面白く、しかも食糧の足しになったものはほかにない。それはザリガニである。群馬で子供時代を過ごした私は、夏の放課後のほとんどの時間を、この漁にうつつをぬかした。

  ざり蟹のからくれなゐの少年期   野見山朱鳥

 まさにこんな日常だった。
 私と同じように疎開していた仲間の多くは、糸の先に(するめ)を縛って釣り餌にしていたが、この方法では一度にせいぜい一、二匹しか釣れない。これに対して地元の連中に近い存在だった私は、彼らにその釣り方を習った。
 まず五、六十センチの棒の先に、糸を(くく)る溝を肥後守(ひごのかみ)で作り、土地では「かつ糸」と呼ぶ(たこ)糸を垂らし、その先に、鯣ならぬ蛙を付ける。その蛙は、田川のどこにでもいる殿様蛙である。餌の付け方は少々残酷である。
 この蛙、地面にたたきつけると、キューと一声鳴いて死ぬ。ここからが残酷きわまりないのである。脚を折り、むけたその個所から皮を頭に向けて()ぐと、さながら徳利セーターを脱ぐように頭までむける。残酷さはさらに続く。地元では、(はらわた)を、どういうわけか「じんばら」と呼ぶ。また肥後守を出して腹を割くと、じんばらが出てきて垂れ下がる。これで餌の準備は完了となる。
 その脚を糸の先に括り、ザリガニのいそうなよどみに垂らすとすぐ、両方の(はさみ)をかざして口に運ぼうとする様子が、水の上からものぞける。ここでたも網を差し込むと収穫は一匹に終わるから、辛棒が肝心の時である。ややあって網ですくうと、大体五、六匹の漁になる。
 子供の間で「まっかちん」と呼ぶ、小型の伊勢海老(えび)ほどの真っ赤なものから、三、四センチの子まで、一緒に揚がってくる。この大漁の場所は、子供達の間でも内証事だから口外はしない。一時間もすると、持ってきた()(けつ)は一杯になる。
 これを持って帰ると、母は決まって「そんなものを、また!」というが、ついでに我が家の単純な食べ方を紹介する。頭を取り、尾の殻を外すと、大きめのザリガニでも、大人の親指ほどしかない。馬穴一杯のものが、小どんぶり一杯ほどになる。冷蔵庫などない時代だから、夕飯前に手早く処理する。これに塩を振り、どこの家にもあった素焼きの焙烙(ほうろく)()ると、やがて赤くなり、私達の夕餉(ゆうげ)の一品になる。
 大人になって知ったことだが、日本固有のザリガニは、主に北海道と北東北に棲息(せいそく)し、南限は、岩手県二戸市(太平洋)と、秋田県大館市(日本海)だと物の本にはある。だとすると、私達がもっぱら捕ったものは、アメリカ・ザリガニということになる。
 かつて、『季語 語源成り立ち辞典』(平凡社)を書く折に調べたところ、アメリカ・ザリガニが、日本で初めて見つかったのは昭和の初めで、その場所たるや、神奈川県の大船辺りだと、資料にはある。その後、食用としての評価が高く、アメリカから輸入されたとあるから、その子孫が、あれほど田川に繁殖したのだろう。
 ところが、昭和二十年代の後半、防虫剤、DDTの普及で、私達子供の前からザリガニは消えた。



  

(c)yoshihiro enomoto



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