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筍好きにとって、春から夏にかけては、その季節を十分過ぎるほど楽しめる。三月に入ると鹿児島産の札を付けた筍がまず店頭に並ぶ。桜前線同様に、この筍も次第に北上し、四月の中ごろになると京都産のそれが出始める。京都産は大きなものは出てこず、ほどよい大きさだが、にもかかわらず値段は滅法高い。京都では秋から冬にかけて、藁や下草を園内に敷き、更にその上に土を入れて管理するから、味もいいし、第一やわらかい。
この時期を過ぎ、四月から五月にかけて、地場物と称する筍がやっと出回る。季語としての筍が「なぜ夏なの?」と思っている向きは、ここで得心する。
筍の荷がゆく朝の札所前 飯田 龍太
こんな出荷風景があちこちで見られるようになる。
今でこそ、身だけを食べて皮は捨てるが、私の子供のころは、この皮を乾燥させて、食べ物の包装に使った。これを「ひげっ皮」と呼んで、経木が出回るまでは、もっぱらこの皮を商店も使った。古くは皮を割いて草履を作ったりもした。
子供もこの筍の出現を待っていた。かつての大家族は、庭にしつらえた大鍋(なべ)で沢山の筍を丸ごと茹でた。今のように皮をむかずに、米糠をどさっと放り込むだけだった。子供の待つ皮は、硬くなく、しかも軟らか過ぎないものだった。これを使って、一般にそう呼ぶかどうか知らないが、「筍しゃぶり」を作る。
唇にさわらないように、皮の表面に生える生毛状のものは束子でこそぎ落とす。円錐形の底辺の軟らかい部分も切り落とし、後はこれにはさむ梅干しを用意する。しゃぶっている間に邪魔になる種は抜き、梅肉を千切って細かくする。この代物を、筍の皮を二つ折りにした中心部に入れ、裾の皮を内側に折ると逆三角の物ができ上がる。これで完成である。
この筍のしゃぶり方だが、逆三角の上辺に唇を当てて吸うようにし続ける。味も塩気もないから、当初は退屈するが、そんな時は、逆三角の両角を吸うと、ここからほどよい梅干しの塩気が出てくる。こんな繰り返しをしているうちに、これまで吸い続けた筍の皮の表面が赤くなり始め、ここからも梅干しの味が滲み出てくる。
二、三時間もすると、脇からも吸ったせいか、中身の梅干しもほぼ空っぽになるが、同時に、筍の皮を真っ赤に染め得た優越感にも浸れる。
梅干しの代わりに、梅漬けに使った赤紫蘇でもよいが、それもなければ味噌を使う。しゃぶり終わった皮は丹念にさいて、チューインガムのように噛んで、吐き出した。今思い出すと、自分でも哀しくなる遊びでもあった。
この筍の食用としての歴史は古く、『古事記』にもその名が見える。火の神を産んで身罷った伊邪那美命を追って、黄泉国に行った伊邪那岐命は、この地から逃げ帰る折、髪にさしていた櫛の歯を投げたところ、その歯は筍に変じたという。追っ手がそれを抜いて食べている間に、逃げおおせたという故事からも、筍がいかに珍重されていたかが分かる。
この筍の季節は、どういうことか雨が多い。これを筍梅雨と呼び、このころ吹く南風を筍流しという。南東風によってもたらされる長雨のことで、江戸時代の方言辞典『物類称呼』にも、伊豆や鳥羽の船乗りが使う船詞だと書いてある。
きのふ掘りけふは筍流しかな 飴山 実
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