『子供の遊び歳時記』

                 榎本好宏


2012/07/19
子供

  第十八回  雀捕りの名人

 田舎暮らしの子供にとって、小鳥を捕ることは、楽しみの最たるものだった。また、そのための工夫もいろいろしたものである。疎開者である我が家にとって、中でも雀捕りは、食の足しにもなった。その辺を少し書いてみる。
 我が家の弟は、近所でも知られる雀捕りの名人だった。当時、「パチンコ」と呼ぶ具は二つあって、一つはY字型の木の(また)にゴムを渡し、石をこめて、雀などを狙い撃ちするものだった。もう一つの方は、俗に言う(ねずみ)捕りである。縦十五センチ、横七、八センチの板の上にバネ状の仕掛けが付いていて、餌を引っぱるとバネがはねて鼠がはさまるようになっている。猫は飼っていても、どの家にも鼠が多く、夜中に天井裏を、音をたてて走り回るから、我が家では「鼠の運動会」と呼んでいた。これら鼠を捕るのに、このパチンコは、大いに役立った。
 そのパチンコを弟は雀捕りに使った。鼠用の餌を付けるところに鶏の羽を付けた。それも鶏の脇に生えたフワフワの羽毛をである。それを畑に前夜仕掛けるのだが、羽毛だけを外に出し、パチンコは台ごと土に埋めた。ことに春は雀の巣作りの季節だから、この羽毛を雀が欲しがることを弟は承知していた。鼠の時と同じように、羽毛を引っぱるとバネが外れ、雀が捕れる。
  親雀鳥毛(くわ)へしよろこびに   山口 誓子
 こんな雀が掛かるのだろう。
 早起きの弟は、畑をひと回りして、収獲を下げて帰ってくる。まだ家中が寝ている間に羽をむしり、頭を落とし、皮もむき、ちょうど奴凧(やっこだこ)の形の肉に仕上げ、醤油(しょうゆ)に浸けておく。これが大猟の日の我が家の朝食に出てくる。
 雀捕りの方法には他にもいろいろあって、その一つが、川で魚を捕る時に使う、径五、六十センチの網を利用する。この仕掛は至って簡単で、網を棒で支え、その棒に細手の長い(ひも)を結び、雀には見えない物陰まで延ばしておく。もちろん持ち上げた網の下には、雀の好きそうな米粒などの餌を散いておく。雀は好奇心が旺盛(おうせい)だから、人影が見えなくなるとすぐ、この米粒に寄ってくる。ただし用心深くもあって、雀が網の下に入ったのを見計らって、急いで紐を引いても捕れないことが多い。
 生きたまま捕れた雀は、いくら雀好きとはいえ、我が家では食べない。もちろん弟が飼うことになる。昔は蜜柑(みかん)林檎(りんご)も木箱だった。少し大きめの林檎箱は、重ねて私の本箱になったが、小さめの蜜柑箱は、前面に網を張り、こうして生きて捕れた雀の巣箱に利用した。
 餌は残りのご飯粒のほかに、(つち)蜘蛛(ぐも)を獲ってきて与えた。この土蜘蛛は、垣根などにしてある(ひのき)の根本に、幹に沿って土中に伸びる巣の中にいた。巣の網が切れないように、辺りの土をのけながらそっと引っぱると、巣の底に、土蜘蛛は鎮座している。その蜘蛛を千切って雀に与えると、雀は猛烈な食欲を示す。
 雀の大方は、屋根(がわら)と、その下の板のすき間に巣をかける。子供なら、そのすき間に手を差し入れても捕れるが、昼間の親雀は餌探しに出かけていて、捕れても、卵から(かえ)ったばかりの産毛(うぶげ)も生えていない(ひな)だから、親雀捕りのころあいは夕暮れ時に限る。
 昼間に確認しておいた、雀を捕るには、釣りに使うたも網の柄をさらに足して長くし、もう一本長い棒を持って出掛ける。「鳥目」の言い方通り、鳥は夜は目が見えないから、必ず巣に戻っている。まず、雀の出入り口とおぼしきところにたも網をあて、軒の下板をもう一本の棒で突っつく。すると、巣の中の雀は飛び出し、御用となる。こうして雀を飼っても必ず死ぬので、母は雀飼いをとても嫌った。
 ある時、お寺の水屋の屋根に巣食った雀を見つけた弟は、近くにあった梯子(はしご)を見つけて屋根に上ったまではいいのだが、運悪く寺の檀家(だんか)の総代に見つかり梯子を外された。弟はその夜遅く泣きべそをかきながら帰って来た。
 雲雀(ひばり)も弟の猟の対象になった。童謡風にピーチク、パーチクと高い所で鳴くこの雲雀は利口な鳥である。決して巣のところから直接飛ばず、しばらく地面を走ってから飛ぶ。下りる時も、巣から離れた場所に下り、やはり地面を走って巣に戻る。これは、巣を守る雲雀特有の本能なのだろう。しかし、子供達はその本能を見抜いていて雲雀を捕った。
 下りたところを見たら、視線は地面を追う。そこが麦畑なら畝間を必死に走る雲雀が見える。そして、その巣から雛を頂戴(ちょうだい)することになる。雲雀は飼い方も難しい。成鳥に近づくとしきりに跳び上がる習性がある。さすが雲雀である。これを蜜柑箱で飼っていると、この習性で頭がはげてくる。その辺を承知している子供は、雲雀に限って、天井に柔らかい網を張って飼うことにした。
 これはもう弟のレベルではないが、頰白(ほおじろ)四十雀(しじゅうから)十姉妹(じゅうしまつ)などの小鳥を捕れる先輩がいた。彼の仕掛けはいたって簡単だった。径三、四センチの竹を三十センチほどの長さに切り、節を抜き、一方に網を張っておく。この竹筒を横向きにし、中に(あわ)だの(ひえ)といった小鳥の好きな餌を散き、木の枝につるす。網の張ってない口から竹筒に入ったはいいが、小鳥は後ずさりが出来ないので捕れる。
 おもしろいことに、これら捕った小鳥を篭に入れて、やはり木に下げておくと、仲間が餌を運んでくることも、子供には感動ものである。
 この御仁(ごじん)霞網(かすみあみ)も持っていて、うらやましくもあったが、この猟、間もなく法律で禁じられた。




(c)yoshihiro enomoto



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