2012/10/01 |
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第二十五回 一番人気のターザン |
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太平洋戦争が終わって、真っ先にやってきた娯楽と言えば、映画だったかも知れない。“母もの”と呼ぶ三益愛子主演の映画や、ちゃんばら映画に続いて上映されるようになったのが輸入映画だった。もちろん大人向けの文芸映画も多く入ってきたが、子供の人気は、何と言ってもターザン映画だった。密林の中で繰り広げるターザンの仕草を子供が真似ない訳はない。早速、それらが 中でも人気だったのが、大木から下がった この遊びのできる場所は、まず大木があって、ロープを この遊びに格好の場所があった。寺の境内にある高さ十メートルほどの小高い丘で、天辺には、秋になると臭い実をたくさん落とす どうにか枝に吊ったロープを揺すっては、「アハ、ハー」と叫んで、傾斜地に落下する遊びに皆熱中していった。しかし、失敗はじきにやってきた。日ごろ私達が縄と称して何にでも使う代物は、 ただ、縄にぶら下がるだけならよかったが、揺することで、枝と縄がこすれてじきに擦り切れ、かのターザンは、途中で落下する羽目になる。思案した仲間が、引っ越しの折に使った麻縄を家から持ってきて、藁縄と組み合わせると、どうにか遊びは続けられた。 私達を熱中させたターザンにも、少し触れなくてはなるまい。この物語は、アメリカの作家で、長ったらしい名の、エドガー・ライス・バローズが書いた冒険小説『ターザン・シリーズ』なのである。全二十六巻のうち、第一作の『類猿人ターザン』が書かれたのが一九一四年というから、日本では大正三年のことで、もう百年も前になる。 筋書きも古い人なら大方は知っている。イギリスの貴族でもあるグレイストーク やがて、文明国の探検隊に会い、自らの素姓を知り、いったんはイギリス貴族に戻り、結婚もする。しかし、この文明の虚飾を嫌って、再びジャングル生活に戻る――というのが粗筋で、単なる原人ではなかったところも、ターザンの魅力の一つだった。 ターザン映画は無声映画時代から上映されてきたが、主役のターザン役もたびたび替わった。戦後我々の前に現れたターザン役は、六代目に当たる、かのジョニー・ワイズミュラー(一九〇七―八四)だった。 ワイズミュラーと言えば、もともと水泳の選手。百メートルの自由形で初めて一分の壁を破ったり、パリやアムステルダムのオリンピックで獲得した金メダルは合計五個だった。そんな筋骨隆々たるワイズミュラーがターザンとして、我々少年の前に現れたのだから驚かないはずはない。 ターザン役の映画は、歴代で一番多い十二本だが、一体、あの時代の、どんな作品を見ていたのだろうか。念のため『映画大全集』(メタモル出版)なる資料を繰ってみると、終戦後の作品としては、「魔境のターザン」「ターザンと豹女」「ターザンの怒り」「絶海のターザン」などで、その後は、次のターザン役、レックス・バーカーに代が替わっている。 |
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(c)yoshihiro enomoto |
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