『子供の遊び歳時記』

                 榎本好宏


2012/10/10
子供

  第二十六回
 不思議な歌詞、「かごめ かごめ」

 戦中、戦後は、時代が時代だから、小学生と言えど、男女が一緒に遊ぶことはなかった。「男女七歳にして席を同じゅうせず」の言葉通り、遊びだけでなく、小学校も男女別のクラス分けが続いた。戦後の昭和二十二、三年ころ、男女が一緒になった時は、私自身も妙な気分だった。
 あれは確か、昭和二十五年の六年生の時だったと思うが、秋の運動会に男女一緒のフォークダンスを行おう、との提案が学校からあった。県か町の教育委員会からの提案だったのかも知れない。早速、その是非が教室で(はか)られたが、大方は「女と手をつないだり、肩を組んだりはできない」の男性側の強い意見で、フォークダンスは実現できなかった。
 ことほど左様に、学内はもちろん、学外の遊びも、男女別々に行われるのが常だった。そうとはいえ、女の子の遊びに伴う唄、例えば「かごめかごめ」「花いちもんめ」のようなものを、かなり正確に覚えているのは、加わりはしないが、それを見ていたのだろう。
 その「かごめかごめ」だが、遊びは極めて単純なものだったが、その歌詞を覚えているのは、(ことば)の意味に不思議があったから、かも知れない。その歌詞だが、一緒に口ずさんで欲しい。
 「かごめ かごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀がすべった うしろの正面 だあれ」
 遊び方は改めて書くまでもないが、まず、じゃんけんをして負けた者が鬼になり、目隠しをして真ん中に座る。この折の「ジャンケンポン」を、私のいた群馬では「チッカッポ」と言う。いま『日本方言辞典』(小学館)を引くと、「チッカッポ」は栃木県塩谷郡の方言で、群馬では「チッカッキュ」とか「チッカッセ」と言うとあるから、ほぼ近い方言のようだ。
 真ん中に座った子を囲んで子供達は、手をつないで回ってこの歌をうたう。そして「鶴と亀がすべった」のところでしゃがみ、全員で「うしろの正面 だあれ」とはやす。うしろの正面が当てられれば、鬼が交代する――というのが一般的な遊びのようだ。
 成長しながら私も、口ずさむたびに、この歌の意味が分からないでいた。ただ、「籠の中の鳥は」については、当時、周りの大人達が言っていた「籠の鳥」の意味がどことなく重なる。娘さんが大事に育てられている比喩(ひゆ)として使われる「あそこの娘さんは、籠の鳥だから……」の意味にである。
 では、出だしの「かごめ かごめ」は何なのだろう。(かもめ)のことを「かごめ」とも言うが、それでは一層意味がわからなくなるから、これは籠目だろう、と思う。もう一つ、子供ながら分からなかったのが、「夜明けの晩に」だった。夜が明けたのに、なぜ晩と言うのだろうと。
 この点については、大人になって詩歌の世界にかかわり始めてから、おぼろげながら、こんなことを思った。
 少々難しいことを言うようだが、『万葉集』や『古今集』の時代に、夜の概念は、宵と夜中と(あかとき)の三つに分けて歌が詠まれていた。ことに宵は現代で言うと夕方の意味に使われているが、当時は夜中の十一時ごろまでを宵と言っていた。そう理解しないと、「江戸っ子は宵越しの銭は持たぬ」の気風(きっぷ)も、私が母からよく言われた「宵っぱりの朝寝坊」の意味も通らなくなる。
 夜の最後の暁は、今では朝の概念と思われがちだが、昼の始まりは(あけぼの)だった。これは、夜明けの空が明るんだ時刻をさす。だから、「夜明けの晩に」の歌詞は、夜の最後の暁を言うのだろう――などと、文学をかじっていた青年時代の私は思ったりもした。
 では、これと次の文脈「鶴と亀がすべった」とはどう絡むのだろう。私の思考はここでハタと止まる。
 これを諭すように、私の手許にある『日本童謡事典』(東京堂出版)の筆者は、「歌詞の奥に込められた意味を、言葉の面からだけ解釈するのは危険である」と手厳しい。そう、そこに生まれた「詩」だけを()ぎとればよかったのかも知れない。





(c)yoshihiro enomoto



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