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最近、私の俳句仲間の一人が、こんな一句を句会に出して高得点を得た。
ほほづきを揉んで鳴らして夫の留守 加藤桂子
ほおずきを鳴らす遊びは、女の人にとって懐かしい遊びの一つである。盆棚に吊ってあるほおずきを一つ取って、長い時間をかけて揉んで、やっと出来た、あの赤い風船状のほおずきを鳴らした途端、少女期に帰っていく。ご主人が側にでもいれば、「子供じみたことを」と言われそうだが、今は幸い留守――といった句意なのだろう。「夫の留守」の文言に、ある年代の女性の微妙な思いが表現されている。
鳴るほおずきを作るには根気がいる。時間をかけて揉んで、皮の裏に種が浮き、蕊の固さもなくなり、もうよかろうと思って表皮を引き抜くと、口が割けてしまう。こんな失敗を繰り返してやっと仕上がった“鳴るほおずき”は、女の子にとって宝物だった。その失敗したほおずきの中身も、かつては「疳の虫に効く」と言って、皆が食べた。
母が好きだったのと、盆棚に飾るのに便利だったから、我が家の庭隅にも植えてあったが、人によっては、屋敷内にほおずきを植えると病人や死人が出ると言い嫌った。枇杷の木にも同じことが言われたが、こちらは常緑樹の枇杷が日光を遮るからだろう、と私は思ってきた。
俳句作りは、このほおずきに酸漿の文字を充てているが、これは「かがち」とも読んで『古事記』にも登場してくる。この実の赤くなったものを特に「あかかがち」と呼んで、身が一つで頭と尾が八つある八岐大蛇の目になぞらえている。そこには、「彼は赤加賀智の如くして」と書かれるが、この赤加賀智が、赤く色づいたほおずきの赤酸漿なのである。平安時代のころから、今の表記に近い「ほほつき」となり、江戸時代の国語辞書『和訓栞』では、「ほほつき」の「ほ」は火のことで、「つき」は染まる意で、実が赤くなることだと書き、以後、これが語源説になっている。
もう一つほおずきには鬼灯の表記も見られるが、こちらは、お盆の精霊迎えの折に、ほおずき提灯を使ったように、祖先の精霊が降りてくる際の依代(媒体)だったことに由来している。
このほおずきを売る市が立つことで知られるのが、七月十日の観音の縁日「四万六千日」だろう。今日では、東京の浅草観音(浅草寺)のそれが知られ、この日にお参りすれば、四万六千日の霊験があるとされるから、一日中賑わう。ただし、四万六千日を年数に換算すると百二十六年にもなるから、人の寿命には少々長過ぎる。と思っていたら、かつて浅草観音の四万六千日の日は千日参りと呼ばれていたらしい。千日間参ったのと同じ功徳のある千日参りなら、京都の清水寺(八月八-十日)や愛宕神社(七月三十一日)、それに大阪の四天王寺(八月八、九日)のそれと同じことになる。
浅草観音の「ほおずき市」では、今では赤く色づいた、鉢植えのほおずきを売るが、かつては青ほおずきが売られ、子供の虫封じに買って帰り、煎じて飲ませたり、女性の癪(さしこみ)に効くとして買われた。
江戸時代の風俗誌『守貞漫稿』などによると、ほおずき市の前は、雷除けの赤いとうもろこしが、四万六千日の日に売られていたという。赤とうもろこしの実効がよほどあったらしく、大の雷嫌いで知られる泉鏡花は、この赤とうもろこしを天井から吊るしていた逸話も残っている。
植物のほおずきと共に、もう一つ海ほおずきもある。これは海に棲息する巻き貝が産む袋状の卵のうのことで、赤や黄色に染めて、縁日や夜店で売られていた。
叔母達が海ほほづきを母の忌よ
の私の一句は、ほおずきが好きだった母の命日に、叔母らがやって来て、仏前で鳴らしてくれた景である。
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