『子供の遊び歳時記』

                 榎本好宏


2012/11/22
子供

  第三十回
 独楽で「寿命比べ」

 独楽(こま)の話を書き始めると、子供時代の興奮がよみがえって、また取り止めもなく長くなりそうな予感がしている。この独楽とビー玉は、子供時代の遊びの双璧(そうへき)だったからだろう。
 周囲に迷惑もかけず、仲間のけんかの原因にもならなかったのが、「寿命比べ」と呼んでいた独楽回しだったかも知れない。実に単純で、「寿命比べの、イチ、ニのサン」で、一斉に回し始める。独楽の回し方は、この寿命比べのように、手を手前に引いて回すものから、けんか独楽のように投げる手法で回すものなど何通りかあった。
 (ひも)を手前に引く寿命比べは、いかに紐を強く引けるかと、地面の選び方に工夫があった。土が軟らかいと(しん)が穴を掘ってしまい寿命は短くなるし、周りに小砂利があると、それを弾き勢いが弱まる。坂道ももちろん駄目だった。条件がいいのは、少々硬めの土で、独楽が揺れずに安定して回る場所がよかった。
 この遊び、その名の通り長く回し続けるために、独楽紐の房の部分で、回転に合わせてたたいたり、中には家から掃除の折に使うはたきを持ってきてこれをはたく者もいた。
 もう一つ、独楽を回すための紐作りの工夫が必要だった。梱包(こんぽう)用の麻の紐を解いて作り直してもよかったが、手に入れやすい着物地が便利だった。当時は着物地が古くなると、解いて蒲団(ふとん)やねんねこに利用したが、これもよれよれになると、子供が独楽の紐にしたり、すり切れていない部分を利用して、お手玉などを作った。
 この布を細長い三角形に切って紐を作る。両てのひらに(つば)をつけながら()っていく。更に縒った二本を、互いの縒りが解けないように合わせて縒ってできあがる。紐の太い部分を五、六センチ残して、団子状に結ぶ。これは独楽回しの折、小指と薬指の間にはさむ大事な部分だ。三角形の細い部分は、独楽に巻く時、独楽の面に密着するよう、口にくわえて濡らす、これも大事な部分。
 さて、子供の興奮する、けんか独楽だが、これは手前に引いて放す寿命比べと違って、相手の独楽に自分の独楽をぶつけるように投げる。理想を言えば、投げた自分の独楽が、相手の独楽に当たり、弾きとばし、しかも倒れて止まり、自分の独楽が回り続けていれば、こちらの勝ちとなる。私達のルールでは、この負け独楽をもらえることになっていた。だから袋の中には、あちこちの欠けた独楽が詰まっていた。
 このけんか独楽のため、独楽の胴に鉄輪をはめ、芯を鉄の芯にかえることもあった。こんな独楽にぶつけられると、独楽は欠けたり、割れたりする。だから勝負は同じ条件同士の独楽でという暗黙の了解があった。この独楽は(てつ)(がね)独楽と呼び、かつては鍛冶(かじ)屋に頼んだが、私達は町工場の職工さんに頼んで、独楽に合わせて鉄の輪を作ってもらって付けた。しかし、強いだけのこの独楽には、子供心ながら後ろめたさもあった。
 もう一つ、当時どう言ったか覚えていないが、独楽を遠くにほうり投げる遊びもあって、これは距離を競う遊びでもあった。今でも
  夕不二やひとりの独楽を打ち昏れて    加倉井秋を
などを見ると、遊び()れた少年時代が思い出される。
 この独楽が、わが国の文献に登場し始めるのは、承平(しょうへい)年間(九三一~九三八)というから随分と古い。当時は「古未都久利(こまつぐり)」と表記していた。「こま」の(おん)は、恐らく中国の唐の時代に、高麗(こま)(朝鮮)を経てわが国に渡来したものであろう。その下の「都久利」の「つぐり」は、独楽そのものを指す言葉だったが、それが省略されて、「こま」の音だけが残ったということになっている。それを裏付ける呼び名が東北地方に残っていて、「こまずぐり」「ずんぐりごま」の古名で呼ばれている。



(c)yoshihiro enomoto



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