2013/07/10 |
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第三十八回 ケラに尋ねたきこと |
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歳時記の秋の項に、 蚯蚓鳴く六波羅密寺しんのやみ 川端 芽舎 ごうごうと欅鳴るまの地虫かな 石橋 秀野 などとも詠む。 ご丁寧なことに、蚯蚓鳴くの傍題季語に、 蛇は昔、目を持たなかったが、歌がめっぽううまかった。その蛇のもとに蚯蚓がやって来て、歌を教えてくれるよう乞うた。蛇は歌を教えることと引き換えに目をもらった――ことになっている。 歳時記の解説では、虫の声のする辺りを探って掘ってみると、ケラはいち早く逃げ、蚯蚓だけが見つかる誤解から生まれた季語だとする。やはり前記の目と歌の交換の方が、 さて季題のケラだが、この虫はコオロギ科の昆虫で、地表に近い地中にトンネルを掘って住んでいるが、田川や田の湿地ですぐ見つかる。姿形が珍妙だから、子供は採って遊びたくもなる。 地中にいるだけに、土を掘るのに便利なのだろう、掌が真っ平である。この虫の、後ろ 子供の問いかけは、ここには書けない性器の大きさであることが多い。「○○先生の○○?」と尋ねると、あまり掌を開かないから、「そんなに、ちっちゃいの?」となって笑いが立つ。時には「○○ちゃんの○○?」と問う奴がいると、「やっぱりお前、好きなんだな」などとはやされる仕儀になる。 この虫、ケラと言わずに、「オケラ」と呼んだが、大人になっても、このオケラの言葉を使うことが多い。マージャンに負けたり酒を飲み過ぎて財布がからになることを「オケラになる」などと言い、解雇されることもオケラと言った。 もう一つ間抜けを例えていうオケラの方は言いえて妙でもある。古くから一つも巧みでないことを「ケラ 「よく飛べども屋上に上ることあたはず、よく上れども木をきはむる事あたはず、よく泳げども谷を渡る事あたはず、よく穴をうがてども身をおほふ事あたはず、よく走れども人に先だつことあたはず」 と書いて、「これケラ才といひて、実のなき人のたとへ也」と結ぶ。 これを読みながら私は、つまんだ指の感触までも子供時代に戻っていく。 |
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(c)yoshihiro enomoto |
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