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第3回 2011/3/25 あ | |||
《原句》@ 春月や溢れる光和の心 ただ「月」といえば秋季というのが俳句の場合の約束ごと。その他、春・夏・冬の語を加えて、それぞれの季節の月になるわけですが、春の月は〈秋月の澄みとちがって、ほのぼのとした艶がある〉(『日本大歳時記』)との解説もあるように、潤いを含んだ風情を感じさせるものです。 作者はその柔か味を帯びた月光を眼の当たりにして、和の心そのものだと印象なさったのでしょう。他の季節ではこうはいかない。いい感性です。勿体なかったのは、一句がブツンブツンと途切れて、詩情の流露が止められてしまったこと。「火の用心おせん泣かすな馬肥やせ」式の表現になってしまっています。標語などにはこういう形がよくあります。 少々あんまりな例をあげてしまいましたが、このように三つに切れてしまう形を三段切れと呼んで、情感の流れが切断されやすいため注意したい点です。もっとも、何事にも例外はあるもので、 目には青葉山時鳥はつ(初)鰹 素 堂 初蝶 など、三段切れの最たるものですが、昂揚感が自ずとこういうリズムをとらせたという趣きの句です。けれども、これは例外中の例外。 さて、原句に戻って、作者の意に近くするなら、まず 春月の光さながら和の心 としてみましょう。これで三段切れは免れましたが次の問題があります。 「光」の語は必要だったかどうか。「春月」と言っただけで、月光は感じられるのではないでしょうか。ここは省きたい。さらに、一句の内容から考えて「春月」の漢語的響きも硬いようです。 《添削》 「月の光」と「月明り」、似たようなものですが、後者ならばひとつづきの語で収まりますから、このくらいでどうでしょうね。 原句の発想に近い例句を参考にあげてみましょう。 家畜みな藁に眠れり春の月 松村 蒼石 いかがですか。いかにも「和の心」そのものの穏やかな状景とは思いませんか。このように具体的な景を示すだけで、作者の言いたいことは余情として伝わるのではないでしょうか。出来ればこういう方向を目指したいと思うのです。 前述した歳時記の解説は飯田龍太。 紺絣春月重く があります。例句にあげた松村蒼石は、この龍太とその父・蛇笏とに師事した人です。 ![]() 《原句》A 霾るやまだ高くなるテレビ塔 2011年12月竣工予定の東京スカイツリーのことですね。完成時には、武蔵の国に因んで 景気が冷えこんで暗いニュースの多い昨今、日々、高く伸びてゆくこの塔の建設を楽しみに眺める人も多いと聞いています。 この季節、海の向うの大陸から黄沙が風に乗って飛来し、空いちめんに黄褐色にかすむ日も多く、太陽もぼんやりとして見えるほどです。これが「 黄沙降るさなか、建設途上のスカイツリー。この取り合せだけでも充分に面白い。その上で、もう少し推敲してみましょうか。 作者の興味の中心は「いまだって相当な高さだけれどもっと高くなっていくのだ」という処にありますから、その躍動感といいますか、心の動きをさらに強調するとどうなるか。また、スカイツリーは正確には「電波塔」ですから、 《添削T》 霾るやまだまだ伸びる電波塔 としてみましたが、中七の飄逸な語調を避けたいというのであれば、原句のままかそれとも、 《添削U》 霾るやまだ伸びてゆく電波塔 とすることも出来ますね。「高い」「伸びる」、さてどちらが作者の意に叶う言葉だったでしょうか。 ![]() 《原句》B 白梅や天神の絵馬に多き誤字 天神さまは言わずと知れた学問の神様。すぐれた学者だった菅原道真を祭神とする天満宮が各地にあります。試験の時期になると合格祈願の絵馬がずらりと掛かっているのは壮観ですが、せつない受験生の願いのそれはそれとして、おやおや、こんなに誤字が多いようではとてもとても――という作者の苦笑が眼に見えるようです。 少々表現がごたごたしています。まず中七以下、語順を入れ換えてすっきりさせると、例えば、 誤字多き天神の絵馬梅匂ふ 下五を「梅白し」としないのは、文字と花の色のどちらも視覚に関わって、印象が分散されるからです。 さらに、原句には天神さまの由来にもたれた理屈が二つあります。一つは先にも述べた、学問の神様だというのに絵馬には誤字がある、との感想。もう一つは道真の和歌として有名な「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」に寄りかかって、梅の花を背景に持ってきている点。 これを、「成程なあ、面白い」と思ってしまうか、それとも自分の体験や実感を大切にしようとするかで、作句のありかたが分かれると思います。 天神と梅、このどちらかを外したいものですが、とりあえず「梅」を外すとして、ではどんな季語が考えられるでしょう。皮肉さを 誤字多き天神の絵馬暖かし 「天神」を外してみましょうか。 《添削》 誤字多き絵馬の掛かりぬ暖かし さっぱりし過ぎて作者はもの足りないかもしれません。ただ、眼前の事物に焦点を当てて直截に詠んでみる、その一例としてご参考下さい。 ![]() 《原句》C 岸壁の母の歌聞き水洟落つ 〈岸壁の母〉。太平洋戦争を経験した世代にとってこの歌は忘れられないもののようです。生死のほども分らぬまま、港の岸壁に立って父や子、夫の帰還を待った女性は当時どれほどいたことでしょう。その内の一人、引揚船で復員する一人息子を舞鶴港で待ち続けた母が、この歌のモデルだったそうですが、昭和29年最初のレコード録音の折、歌手菊池章子は涙が止まらず、何度もやり直したそうです。敗戦の年から始まった引揚船の終了は33年。誰しも身につまされて〈岸壁の母〉を聞いたのでしょう。 それからの長い歳月、記憶は風化してはいない。この句はそのことをまざまざと教えてくれます。 散文で書くならば原句の通り。けれど、俳句という引き緊まった形で、万感の思いを伝えようとすればどうするべきか。決して十全とは申しませんが、何を省略し何を加えたか、次の例で見て下さい。 《添削》 水洟やいまも岸壁の母の歌 〈岸壁の母〉は昭和44年、二葉百合子によって再レコード化されています。 ![]() 《原句》D 窓硝子すべて磨きて卒業す 喧嘩もしたし淡い初恋もあった。思春期の少年少女の、得がたい日々の成長を育んでくれた教室。明日からはもうこの場所に足を踏み入れることはない。それらの言葉にならない感情がこの句に溢れています。 懐しいとも悲しいとも言わずに、行為だけを描いて、あとは読み手の想像に委ねる、潔い句作りです。 「すべて磨きて」に心情が托されているのですが、やや説明的でしょうか。リズムも、もう少しなだらかにしてみたい。 上五の「窓硝子」も「硝子窓」と、窓のほうに比重のかかる言葉の方が教室の空間が無理なく感じられるように思うのですが。 《添削》 硝子窓あまさず磨き卒業す 卒業の句で、私の大好きな作品があります。 卒業の涙を笑ひ合ひにけり 加藤かな文 平成21年刊行の句集『家』所収。 ![]() |
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(c)masako hara |
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