わかりやすい俳句添削教室
原 雅子 いしだ


第5回 2011/4/8 


《原句》①

  地虫出づ呂律(ろれつ)回らぬ女いて

 〈地虫穴を出づ〉を(つづ)めて〈地虫出づ〉。暖かくなると、幼虫・さなぎ・成虫を問わず地中にひそんでいた冬ごもりの虫が這い出してくる。暦でいう〈啓蟄〉はこの季節のこと。地上の春の始動を感じさせる面白い季語です。
 原句、地虫に驚いてもごもごと口がまわらなくなっているというなら、ただそれだけに終わってしまいますが、おそらくそうではないでしょう。「地虫出づ」と「呂律回らぬ女」とは別々の現象で、その()かず離れずの関り具合が作者の興を惹いたと思われます。
 「いて」(歴史的仮名遣いでは「ゐて」)は第三者の視点ですが、すでに「女」の語がありますから、客観的立場であるのは分かります。「いて」は言わずもがな。だからといって「女かな」とすると、上五で切れ、下五で再び切れてしまう。
 もう一つ、作者は「女」を〈をみな〉〈をんな〉、どちらで読ませたかったでしょうか。〈をみな〉は優しい印象ですが〈をんな〉とした場合、乾いた皮肉な視線を感じるのです。たとえばこれを、
  地虫出づ呂律回らぬ女の子
と、幼児にしてみますと、春めいてきた日射しの中で、まだ片言しか言えぬ子どもの愛らしい様子になりますが。
 一句の眼目は「地虫出づ」と「呂律」の取り合わせです。ではどうでしょう、ご自分のことにしてみては。そうすれば、あの「女」はなんで呂律がまわらないのか、お酒でも飲みすぎたか(まさか!)などとつまらぬ疑問も封じられます。簡単に直すと、
  呂律あやしくなりしか地虫穴を出づ
ですが、もう少しふくらみを持たせたい。

《添削》

  地虫出て呂律あやしき一日かな

 「あやしき」は、あぶなっかしいの意です。「あやふき」でもよいでしょうね。年齢がいってくると発語が不明瞭になったりしますが、まだお若い作者でもこういうこともありますでしょう。「回らぬ」よりは、一日中ですから「あやうき」ぐらいの方が真実味がありそうです。
 この季語を面白く使っている例をあげてみましょう。
  地虫出づふさぎの虫に後れつつ     相生垣瓜人
 「虫」の語から連想しての機知の句ですが、この諧謔、うーんと唸ってしまいます。相生垣瓜人にはこういう愉快な句が沢山あります。
  東山はればれとあり地虫出づ      日野 草城
 こちらはまた気持ちのよい句ですね。遠近の距離が広やかで、春先の気分が横溢しています。
 虫を特定した〈蟻穴を出づ〉などもあり、蛇や蜥蜴など爬虫類に敷衍して詠まれたりもしています。
  蟻穴を出でておどろきやすきかな    山口 誓子

 


《原句》②

  暖房切れ蠟燭で「親鸞」読む

 先頃の地震による計画停電実施中のことのようです。時事的な内容を詠む場合、その事実を知らなくとも鑑賞出来るかどうかが成否の要になります。どんなに特殊な事実であっても読み手に「ああそういうことがあったのか」と、驚きとともに納得させられれば成功ですが、何のことか分からなければそれまで。
 原句では、暖房が切れたのは実際のことでしょうが、それはありのままを述べたに過ぎません。事実の細部を切り捨てる勇気(!)が欲しい。仄暗い灯火のもとで、ほかでもない「親鸞」を読んでいる。そこにこそ作者の現在(いま)この時の気持ちが現われているのではありませんか。
 よく知られているように、親鸞は鎌倉期、浄土真宗をひらいた人。この時代、現代に至る仏教の宗派がほぼ出揃った観があります。国家鎮護の宗教から庶民救済の宗教に近づいた時期とも言えるかと思います。親鸞の語録「歎異抄」の〈善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや〉は有名な言葉です。
 さてそれでは、上五を削って、以下のフレーズを生かす言葉を探したい。同時に一句の調べの点でも再考の必要がありそうです。原句は十七音ではありますが、五七五の音律をかなり()み出していますから、ここも整えたい。

《添削》

  蠟燭で読む「親鸞」や春寒し
  蠟燭で「親鸞」を読む春寒し

 「や」の切れを好まなければ後者になります。どちらが作者の意に添うでしょう。
 もう一言、付け加えますと、「蠟燭で」の「で」。これは日常語であって、嫌う向きもあります。この語に代わるものとしては「に」ですが、つまり〈……によって〉の意味で、手段などを示します。
 言葉は時代によって変化しますから、すでに詩語として位を得ているものばかりでなく、日常語や俗語を無下に否定するつもりはありません。作者は、自分の心に叶っているか、句の表現にふさわしいかを、一句ごとに確かめるのが大事と思っています。ただ不用意だけは戒めたい。
 ここまで来ると作り手の言語感覚が決め手でしょうが、添削二例のうち前者は「で」、後者は「に」を使いたいというのが私の言語感覚ということになりましょうか。続く言葉が名詞か動詞かという点に関るようです。文法というと面倒ですが、言葉の長い歴史の中で取捨選択されてきた用法に遠因するのでしょう。

 


《原句》③

  囀りやあちらこちらに人の列

 物不足と聞けばそれっと買い漁りに走る。困ったものですが庶民のささやかな自己防衛。店舗から溢れた行列を見かけることもしばしばですが、もちろん行列にもいろいろあります。バーゲン会場、噂のラーメン店、もう少し高級になると動物園やら美術館など。そうそうアイドル歌手のライブというのもありました。
 思いつくままに行列しそうな例をあげてみたのは、原句の「人の列」の性格が分からないためです。つまり原句では、何の行列だろうという疑問を感じさせてしまう。ただ「人の列」さえ見えていればいい、という表現にしてほしいのです。
 それには、〈囀り〉の季語がうまく働いているとは言えないようです。〈囀り〉はにぎやかに聴覚を刺激してくる言葉で、「あちらこちら」の語とも重なって少しうるさい。同じ意味の季語に〈百千鳥〉があります。歳時記に、〈囀り〉よりもやや風景的と解説されているように、鳴き声の印象よりももっと総体的にふっくらした幸福感を覚えます。
  百千鳥あちらこちらに人の列
 これだと、人の列はのどかに何かを待っている印象が出てきますが、作者はおそらく生活に関る状況で行列を捉えたのでしょう。
 では、埃っぽい〈春塵〉などが思い浮かびます。

《添削》

  春塵やあちらこちらに人の列

 なるべく句形を動かさずに手直ししますとこうなりますが、眺める視線ではなく作者自身のこととして詠む場合、
  春塵に捲かれ行列の最後尾
とすることも出来ます。味わいが違ってきますね。ご参考下さい。

 


《原句》④

  被災地は夫のふるさと鳥帰る

 これはいい作品ですね。付け加えるものはありません。個人的な事情を詠んで、しかも誰にでも通じる内容です。はるかに()の地を偲んでいる。〈鳥帰る〉の季語が望郷の思いを誘います。

 


《原句》⑤

  リハビリにをみな優先雛の日 

 一文字だけ入れ換えます。

《添削》

  リハビリはをみな優先雛の日


 上五の助詞を「に」から「は」にいたします。格助詞「は」は多くの場合、強調・限定が過ぎて理屈っぽくなりやすいのですが、それもケースバイケース。ここでは断然「は」を使って意味を強めておきましょう。
 三月三日の桃の節句、何といっても女の子のためのお節句当日ですからね。どうぞどうぞ、ご遠慮なく、といったところでしょうか。現代的に言うなら「女性優先」とするところを、古風に「をみな」としたのは雛の日に因んでの作者のユーモアが感じられます。
 察するところ、いずれもお齢を召した女人たち。でも、よいのですよ。折角の一年に一度の日、昔はみんな女の子だったのですからご厚意に甘えておきましょう。

 



(c)masako hara



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