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第14回 2011/6/17 あ | |||
《原句》① つねよりも淡く香水さそわれて 「さそわれて」とは、香水の匂いに誘われるのか、外出のお誘いがあったのか迷いましたが、前者なら「香水に」と助詞を入れるべきでしょうから、これはやはり知人からのお誘いと受けとっておきます。どちらへお出掛けなのでしょう。お芝居、音楽鑑賞、絵画鑑賞、それともちょっとお洒落をしてお食事会など。ひょっとすると素敵な異性からのお誘いだったかもしれません。いずれにしても心弾む出来事らしく思われます。 さてそこで疑問になるのが、香水を「つねよりも」淡くするということです。普段は使わない香水をつける、または、いつもより濃くする、というのなら、自然な心の向きとして頷けますが、わざわざ淡くするのはどうしてかと、謎が残ってしまいます。香水を好まない相手であるとか、病院へのお見舞いなどなら納得出来ますが、それら背後の事情を加えるのは散文の領域になってしまうでしょう。その場合にはそれにふさわしい詠み方を工夫してみたい、たとえば「病む人に香水淡く 一方、原句にはどこかしら甘やかな浮きたつ気分がありますから、そこだけにポイントをしぼってみましょう。そうなると、「つねよりも」は言わずもがな。単に「淡く」だけで充分です。 会ふための香水淡く纏ひけり としてみました。さらにもう一歩突っこんで考えますと、「香水を濃く」ならば相手に対する何がしかの気分、気負いのようなものが出てくるのですが、「淡く」では読者の想像を刺激してきません。無駄な言葉になっているのではないでしょうか。むしろ、ここを省いて単純にすることで、句意が明確になります。 《添削》 会ふための香水の香を纏ひけり この場合、「香水」だけで香りは想像出来ますから「香水の香」は一見、無駄のようです。ただ、このように強調して効果的な場合もあるという一例です。ご参考下さい。歳時記の例句もご紹介しておきましょう。 香水の香ぞ鉄壁をなせりける 中村草田男 香水の香の内側に安眠す 桂 信子 この二句、男性と女性の捉え方の違いを示していて、興味深い作品です。 ![]() 《原句》② 麦秋や筑波二峰に雲一つ 堂々たる大景です。古格を踏まえて安定感のある句作りでした。 筑波山は古来の歌枕。男体、女体の二峰があることをこの句で思い出しました。関東平野を見下ろして聳えます。「麦秋」の季語によって、麦実る頃の初夏の大気を胸一杯に吸い込みたくなります。季語の選択、素敵でした。 惜しいと思われるのが下五の「雲一つ」です。青空に白雲がぽっかり浮かんでいるという実景だったかもしれませんが、一句の中に数詞が二つあるのは互いに障り合ってしまいます。「二峰」は外せませんから、この下五を何とかしたいものです。「雲かかる」などとしてしまうと、折角の麦秋の良いお天気が崩れてしまいます。さてどうしましょうか。「雲」に拘らず、広々とした空だけを感じさせてはいかかでしょう。 《添削》 麦秋や筑波二峰の晴れわたり 「晴れわたる筑波二峰や麦の秋」の形も考えてみましたが、これはやはり上五に「麦秋や」と打ち出すことで、大きな気息で景が完成するようです。 ![]() 《原句》③ 大瀑の傍をわづかにしたたれり 「瀑」は滝のこと。瀑布、飛瀑などと使われます。「滝」よりも激しく大きい印象を持つ文字です。 「滴り」は岸壁や蘚苔を伝う点滴をいう季語で、雨雫の滴りとは別物です。 どちらも、その清涼感から夏の季語として扱われています。原句の「したたれり」は、滝水の端をほそぼそと落ちる分流を言ったものかとも思うのですが、それよりも滝と滴り、別々のものの対比を際立たせた句と見る方が面白いでしょう。山中ではよく見かける景色です。ここでの季重なりには拘りません。水の現象の差異が興味深く眺められる作品です。 難点をあげるとすれば「わづかに」です。すでに「大瀑」の語がありますから、対置された「滴り」に「わづか」という駄目押しをする必要はありません。この語があるために状景が説明的に感じられてしまいます。 《添削》 大瀑を傍らにしてしたたれり 「大瀑」を一般的な「大滝」としてもよいと思いますが、これは作者の思い入れがあるのでしょう。「したたれり」は「したたりぬ」として、語調を引き緊めるのも一法です。「滴りぬ」と漢字を使うことも考えられます。 ![]() 《原句》④ 改札の監視カメラや夏燕 俳句の手法の一つに〈取り合せ〉があります。一句の中に二つ以上(多過ぎてはポイントが分散しますから通常は二つくらいで)の素材が組み合わされることです。この手法は、素材同士の 原句では、改札の監視カメラと夏燕が取り合わせに当たります。 最近は街のあちこちで監視カメラを見かけるようになりました。賛否両論のそれはそれとして、現代風景の一つではあるのでしょう。駅の改札などでは大勢の乗降客が往き来しますから、早い時期から設置されていたかと思います。そこにこの季節、燕の飛翔がひんぱんに見受けられる。駅頭での一場面が無駄なく切り取られています。――と、ひととおり納得した上で、気になる点を考えてみましょうか。 「夏燕」は夏空の下、素早く飛び交い、ひるがえる姿が爽快感をもたらす季語です。その印象に対して、「監視カメラ」はイメージの落差がありすぎて違和感が残ります。とはいえ、これは確かに現代の風景。そうなるとどうするべきか、です。原句は、「や」を使って中七で大きく切れています。下五の「夏燕」は、いわば置き逃げの形で単独に存在しています。この二者を関係づけてはいかがでしょうか。 《添削》 改札の監視カメラへ夏燕 一文字の違いですが、これなら無理なく一つの場景として収まると思うのです。 原句は句中に切れを入れた二句一章の形。添削句は句中に切れのない一句一章です。 ![]() 《原句》⑤ 苦瓜を軒に這はせて音もなし 「音もなし」は、家の内部のこと。ひいては暮らしそのものの有りようを捉えた言葉です。 今夏は冷房電力節約のために〈緑のカーテン〉と称して植物を植えることが流行っていると聞きますが、この作者は今年に限らず毎年のこととして苦瓜を育てているのではないでしょうか。着実な生活の営みがうかがわれます。老齢の、ひっそりと静かな日常。穏やかに時間が過ぎていくようです。 「音もなし」が、もう少し具体的に見えてくるといいですね。ご夫婦二人だけのお暮らしと推察します。では素直にその様子が浮かぶようにいたしましょう。 《添削》 苦瓜を軒に這わせて老夫婦 |
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(c)masako hara |
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