わかりやすい俳句添削教室
原 雅子 いしだ


第15回 2011/6/24 

《原句》①

  今年筍寺近く売り薄暑かな

 今年生えた筍でしたら「筍」というだけで充分です。〈今年竹〉の季語はありますが、これは筍が成長して皮を脱ぎ青々とした幹を見せているもので、〈若竹〉ともいわれます。古い竹の中に混って生えているので、わざわざ「今年」とか「若」を冠して呼ばれる訳です。
 原句では「筍」と「薄暑」が季重なりになっています。栽培技術が進んで、一年中見られる野菜も少くない昨今ですが、筍はまだ例外。初夏の味の代表です。「筍」だけで季節感は豊かに感じられますから、下五を再考しましょう。
 さらに、場所を示している中七は表現が少々窮屈で説明的にひびくようです。「寺近く」ならば、参道などが考えられますがいかがでしょう。そういう場所で売られている筍。まさにこの季節ならではです。一句のモチーフはそこだと思います。地元の人が朝掘りで採ってきた瑞々しい筍。そんな感じを生かしてみましょうか。

《添削》

  
筍を参道に売る朝かな

 


《原句》②

  袋掛まだ未完に昼を言ひに来ぬ

 桃や梨、林檎などの若い実を病虫害や風害から守るための袋掛です。果樹園でのベテランの作業を見ていると、特に急いでいる様子もないのにどんどん白い袋の花盛り(!?)になって、その仕事ぶりには感嘆してしまいます。
 原句では、こういう着実な作業が続いている最中、昼時にさしかかったようです。小規模に家族だけで果樹を栽培している所ではないでしょうか。家も近くにあって、わざわざお弁当を持参しなくても、帰宅して御飯を食べることが出来る、そんな場合かと思います。働き盛りの男たちは外での作業、食事担当はお嫁さんかお年寄りで、用意が出来たから知らせておいでと言い付かった子供、といった光景を想像します。
 中七の字余りを何とかしたいですね。「まだ未完に」の言い回しも硬く感じます。ここでの「昼」は「昼飯」を指すのでしょうが、このままだと単に時刻を告げに来ただけのことになりそうです。それではあまり意味がありません。やはり昼御飯に呼びに来たと解して、鮮明な場面が浮かびます。では次のような形でどうでしょう。

《添削》

  袋掛さなかを昼餉知らす声

 昼御飯を「おひる」と言いますから、「昼飯」に「ひる」とルビを振る例も無い訳ではありませんが、出来るだけ無理な読みはしたくないと思っています。「昼餉(ひるげ)」として音数を整えてみました。ご参考までに。


 


《原句》③

  梅雨晴間なれば窓へと風呼んで

 じめじめと幾日も振り続く梅雨の時期。たまさかの晴天には家中の窓を開けて風を通したくなります。日常生活の一齣として誰にでもよく分かります。でもちょっと待って下さい。誰もがよく分かるということには落とし穴があるのです。一言でいえば詩情が有るか無いかですが、この説明は難しい。読者が感動出来るかどうかが決め手の一つではあると思いますがそれは結果です。作り手としては何を念頭にして作句したらいいのか迷います。
 先述した「よく分かる」という点から考えてみましょう。句の内容に深く共感してよく分かるという場合と、当然のことだからよく分かる場合とでは違いがある筈です。原句は後者に近いと思われます。梅雨の晴間に風を通すのはいわば当たり前の行為。この当然さに拍車をかけたのが「なれば」です。「……だから」という理屈になってしまいました。
 これを別にすれば、窓と風との素材で開放感に溢れた一句にすることは可能なようです。「梅雨晴間」からは離れてみましょう。

《添削》

  若葉風窓といふ窓開け放ち

 作者の意図とは違いますけれど、一つの例として御覧下さい。

 

《原句》④

  紫陽花の水切り済ませ勤務の朝

 生け花で、花の水揚げをよくするために、水の中で茎を切ることを「水切り」といいますがそのことと思います。切り詰めて花()ちを良くする効果もあるようです。
 出勤前のひととき、普通は慌しい時間でしょうが、作者は花瓶の水を取り換え、紫陽花を活けて仕事に出かけたのでしょう。生活の中の小さなゆとり、こういうことが日常の贅沢というものかもしれません。お人柄までそこはかとなく感じられます。
 材料が多くて少しごたごたしているのが残念です。一句の核となる部分を大事にして、細部を刈り込みたいのですが、まず中七の部分を見直しましょう。ここは、紫陽花が美しく活けられていればそれで充分ではないかと思います。水切りとか、水の入れ換えといった細かい行為を述べる意味はなさそうです。では、「花瓶に挿す」または「窓辺に置く」などと考えてみましたけれど、どちらも平凡ですし、作者らしさといったものも見えてきません。
 作者はまだ若い女性ですから、そういう年代の人の雰囲気が出ると良いのですけれど。例えばですが、当り前の花瓶などではなく、生活の匂いを感じさせるペットボトルとか、逆にお洒落なガラス器といったもの、そうですねグラスにしてみましょうか。
  紫陽花をグラスに挿して勤務の朝
 さてそこで今度は「勤務の朝」です。この措辞ですと、いかにも報告的にひびきます。これから仕事に出かけるのですから、きりっとした爽やかな表現にしてみませんか。

《添削》

  紫陽花をグラスに挿して出勤す

 いかがでしょう。作者が本来述べたかったことの中心からそれほど隔たってはいないと思うのですけれど。
 紫陽花は梅雨空の下、量感のある花を咲かせます。その印象は時として、
  紫陽花の醸せる暗さよりの雨      桂 信子
  かなしみはかたまり易し濃紫陽花    岡田日郎
のような句を生みますが、時には新鮮な眼で捉え直すのも大切と思います。

 


《原句》⑤

  ビル一つづつ窓の灯や薄暑の街 

 都心の林立する高層ビルの風景でしょうか。無機的な素材への着眼と「薄暑」の季語の配合が現代的な詩情を醸し出しています。
 「一つづつ」の語の位置が「ビル」と「窓」双方に掛かって曖昧ですから、語順を入れ換えてはっきりさせると「ビルの窓一つづつ灯や」となりますが、いくらか説明的です。「一つづつ」と丁寧に断らなくともよさそうです。では、「ビルの窓灯りはじめし」としてみます。これなら、それぞれの窓の存在は感じられるかと思うのですが。
 次に下五の「薄暑の街」。魅力的なフレーズです。ただし、その前に「ビル」の語がありますので、「街」は屋上屋を重ねることになりはしないでしょうか。「薄暑かな」あるいは「夕薄暑」としたいところですが、「灯りはじめし」とあるので夕方ということは了解事項です。やはり「薄暑かな」でしょう。

《添削》

  ビルの窓灯りはじめし薄暑かな




(c)masako hara






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