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第17回 2011/7/8 あ | |||
《原句》① 渓流に木洩れ日揺れて鮎の影 渓流での鮎釣り経験者なら、お馴染みの景色でしょう。樹木の緑に彩られた渓谷の清冽な流れ。春から夏にかけて川を遡上してきた鮎は山中が深緑に染まるこの時期、上流にその姿を見かけるようになります。 原句から状景がよく理解出来るのですが、この描写にはどこかしら絵葉書的な感じを受けます。つまり、渓流・木洩れ日・鮎のいずれも平均した比重で描かれていて平板な印象になっているのではないかということです。 まず、作者の興味の中心は何だったか、絞ってみましょう。「木洩れ日」か「鮎」か、それとも川の流れそのものでしょうか。あれやこれやを詰め込みすぎると一句の焦点はぼやけてしまいます。 次に「渓流」の語ですが、これはやや概観的な、距離を置いた言葉のように思われます。鮎が見える位置なのですから、もっと眼を近づけた表現にしたいのです。川面、川瀬、水中、水底などというように。 さらに「木洩れ日」といえば、つい「揺れて」と言いたくなりますが、これは常套的。「木洩れ日」一語だけでちらちら揺れる日の光は充分に伝わります。省略したい言葉です。 ではどうするかですが、作者としては「木洩れ日」と「鮎」、同時に詠みたかったかもしれません。そうすると、 水底を木洩れ日の影鮎の影 としてみます。上五は「川底」「水中」とも考えられます。 もう一つの案としては、「鮎」という季語に力点を置く捉え方です。清流の涼やかさも見えてくるのではないでしょうか。 《添削》 木洩れ日や川瀬を鮎の影走り ![]() 《原句》② あぢさゐの藍の濡れ色深めけり 紫陽花は梅雨の季節の代表的な花。原句はまさに紫陽花のイメージそのものといえます。誰しもが等しく抱くイメージ。ということは一面からいえば、どこかで見たような作品ということになりかねません。類想の域にとどまってしまうのです。 韻律も整っていて姿の美しい句ですが、問題は「濡れ色」の語にあります。実際に雨が降っていたかもしれませんし、あるいは藍色の濃くなった様を「濡れ色」を深めたと捉えたのかもしれません。いずれにせよ、紫陽花と〈雨=濡れる〉とは切っても切れない関係です。作者としては自分だけの把握だったでしょうが、すでに手垢のついた表現なのです。残念ながら、この語は捨てるべきです。情緒に凭れかかってもいますから、紫陽花の実在性といいますか現実味をもっと引き寄せる言葉を探しましょう。 紫陽花を眼にした時の現場を思い出して見るといいですね。周囲に何があったか、どういう状況で見たのか、それらがヒントになることもあると思います。 紫陽花を詠んだ例をご紹介しておきます。 あぢさゐやきのふの手紙はや古ぶ 橋本多佳子 紫陽花に秋冷いたる信濃かな 杉田久女 多佳子は一時期久女に学んだ人です。 この前句は、あぢさゐに対して中七以下のフレーズを取り合わせた句ですが、原句作者はこのような方法も参考になさると、作句の幅が広がるかと思います。 さてそこで原句に戻りましょう。作者の状況がわかりませんので、取り敢えず花がみずみずしく感じられる時間帯ということで想像してみました。 《添削》 あぢさゐの藍深めたる明けの空 朝、そして遠近を含めた空間を感じさせる「空」を背景にしてみましたが、いかがだったでしょう。ご参考までに。 ![]() 《原句》③ 八の字にくぐる茅の輪の匂ひかな 陰暦六月晦日に行なわれる この茅の輪、茅を束ねて大きな輪の形に作ったもので、くぐり方に作法があるらしく、文献などでは、左の足から入って右の足で出るとか、右廻り左廻り、三たび繰り返すなどと書かれたりしています。 原句の「八の字にくぐる」とは、この決まりごとを言っています。材料の茅は刈られてまだ間もないもので、青くさく乾いた匂いがしたのでしょう。これに気づいたのが作品の眼目になりました。大抵は、八の字にくぐったことに感興を覚えてそれだけに終わってしまい易いのですが、「匂ひ」の感覚がよかったと思います。茅の輪の実体が感じられます。 下五に少々手を加えてみましょう。 《添削》 八の字にくぐる茅の輪の匂ひけり 原句「匂ひかな」の場合、一句の中心は「茅の輪の匂ひ」だけになります。つまり、「八の字にくぐる」動作はここでは効果を現わしません。「匂ひけり」の場合は、くぐる動作があってはじめて茅の輪の匂ひが出てきます。言葉の全体が緊密に結ばれ合っている、そういうことが言えないでしょうか。 ![]() 《原句》④ 幼子の寝息に合わす団扇かな こちらも③と同じことが言えるかもしれません。 まず内容から見ていきましょう。句意は不足なく表現されています。冷房の無かった時代、この光景は夏の日常でした。現在でも、クーラーでの冷え過ぎを心配して、人工的でない団扇の優しい風を送るという方がいらっしゃいます。幼子の安らかな眠りを覚まさぬよう、穏やかに団扇を動かす、その動作と心情を伝えているのが「寝息に合わす」の措辞でした。 さてそこで、「団扇かな」と据えた座五(下五と同じ意味です)についてです。 ここで読者の目は「団扇」に釘付けとなります。この作品で作者が言いたかったのは一句全体の内容だったと思います。「団扇」という物体に注目を集めることではない筈です。 原句では「かな」の切れ字は「団扇」だけを受けています。もしも全体にかかるようにするなら「幼子の寝息に団扇合わすかな」となりますが、作品の温和な世界に、異質の仰々しさが加わるようで感心しません。「かな」の切れ字は詠嘆・感動の意が強いのです。 では、次のようにしてはいかがでしょう。 《添削》 幼子の寝息に団扇合はせをり 平明な言葉が句の情趣を生かすと思うのですが。 原句の「合わす」は現代仮名遣い、「合はす」は歴史的仮名遣いです。 ![]() 《原句》⑤ 犬の耳ぴくりと動き雷きざす 「雷」は季語の分類では〈天文〉に入ります。これと「犬」との取り合わせは、天体現象と一動物の生態という対比を鮮やかに印象づけます。 残念なのはこの対比に因果関係があらわになっている点です。「……動き雷きざす」のフレーズがそれです。殊に、単なる雷でなく「きざす」という動きを呼び込んだために、原因・結果が強く意識される形になってしまいました。 もう一つ、細かいことですが、中七には「ぴくりと」の語があります。この語があれば本当は「動き」は言わずもがななのです。とはいえ、重ねて使う効果や音数の問題もあったりしますから、ケースバイケースと心得ていて下さい。 犬や猫はときどき耳がぴくりと動くことがありますが、これは生体の意思とは無関係な自律神経のなせる作用もあるようです。これに着目した面白さを生かすには「雷」の音のイメージを持ってくるのは得策ではなさそうです。もっと大摑みに感じられる〈天文〉の中の季語を考えてみましょうか。 〈日の盛〉〈 いずれにしても、自然現象と一生命の対比という構図にはなりそうですから、作者の気持に近いものを探すのが一番です。一応の例として、次のようにしてみました。 《添削》 犬の耳ぴくりと動く油照 猟犬の耳のぴくりと雲の峰 |
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(c)masako hara |
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