わかりやすい俳句添削教室
原 雅子 いしだ


第20回 2011/7/29 


《原句》①

  土用太郎雲梯の子ら夕暮れて

 暦の上の土用は春夏秋冬それぞれにありますが、現在では盛夏の土用がよく知られています。だいたい七月二十日頃から立秋まで。土用の入りの日を土用太郎と称して、次の日が次郎、さらに三郎と続きます。
 その暑い一日が暮れて、遊んでいる子供たちの姿も夕日に長い影を曳くようになる頃。原句は、生気に満ちた夏という季節の中に一抹の淋しさを感じさせます。
 「雲梯」は水平もしくはアーチをなした梯子(はしご)状の遊具ですが、この句は具体的な遊びを言ったことで鮮明な像を結びました。これをただ単に〈遊んでいる子〉としてしまったら、ムードに流れてしまったことでしょう。手堅い捉え方でした。
 次に、季語の「土用太郎」についてです。たとえば利根川を坂東第一の川という意味で坂東太郎と呼ぶように、これは擬人化した名称です。句中には「子ら」が出てきますから、人を連想させる語を重ねるのはうるさくなります。普通に〈土用入〉でよさそうです。そうすると
  土用入雲梯の子ら夕暮れて
となりますが、下五が緩く流れてしまうような気がしませんか。「土用太郎」の場合でも同じことです。もう少し引き緊まったリズムに整えてみましょう。


《添削》

  
雲梯の子らに日暮や土用入

 中七に切れを入れて、語順も入れ換えてみました。季語が全体に及ぼす効果も出てくると思うのですが。




《原句》②

  豆しぼり女神輿を揉み合へり

 若い女性が御神輿を担ぐ姿、なかなか粋なものです。祭の呼び物の一つになっているところもあるのだとか。豆しぼりの鉢巻に法被のお揃い、派手な歓声が上がったことでしょう。
 このままの形で出来ている句です。
 今回は添削ということではなく、捉え方の違いでどんなふうに変わるかという例を見てみましょう。上五と下五を入れ換えます。

《例》

  揉み合へる女神輿の豆しぼり

 印象が違ってくると思いませんか。原句の方は神輿を揉む動きに焦点を当てています。片や、例として出した方は豆しぼりの女性たち、つまり人物の方に焦点を移しました。
 表現の中心をどこに置くかで、言葉の働かせ方は変わってきます。ご参考まで。




《原句》③

  形代に書きて子の名の由来など

 陰暦六月晦日に行なう夏越(なごし)(はらえ)では、茅の輪くぐりを始め形代を流すなどの行事があります。白紙で作った形代に名前を書き、体に触れて穢れを移してから神社に納める、または川に流す、というものです。遠方の神社だったりすると事前に形代が送られてきて、名前を記して送り返すといったこともあります。
 原句からは、お子さんに代わって名前を書き入れている多分お母さんではないでしょうか、こまごまと記さずにはいられない親の心情がうかがわれます。あるいは名前を書いたあとで、受付の神職さんにでも話をしている、そんな状景が浮かびます。
 切れを入れて、散文的な調子を引き緊めましょう。

《添削》

  形代や子の名の由来書き添へて

 下五は、その時の状況次第で「言ひ添えて」とも。




《原句》④

  風鈴や 聞こえぬ父に 風知らせ

 耳の不自由になられたお父さまでしょうか。「風知らせ」というのは、聞こえてはいないけれども風鈴の音が風を知らせている、との意味に受け取りました。傍らにいる作者が「風が出てきましたよ」と知らせていると解することも出来そうですが、それでは内容がごたごたしてきます。やはり前者の意味にしておきましょう。
 しみじみした内容を詠まれているのですが、「風知らせ」が言葉の上での説明になってしまって情感が削がれるように思います。ここを状景描写で表現したいのです。お父さまの居場所近くに風鈴が吊られているという状景に。たとえば、

《添削》

  風鈴や耳遠けれど父の辺に

としてみましたが、どうだったでしょう。ご参考下さい。
 なお、原句では上五、中七それぞれの後が一字あきになっていますが、意図的に分ち書きを施したい場合以外は一行に詰めた表記で結構です。




《原句》⑤

  遠花火縁側のなき家にすむ 

 夜空の彼方に揚がる花火を窓辺から眺められたのでしょうか。台所仕事をしながら、ふと顔を上げたとき眼に入ったのかもしれませんし、あるいはベランダで夜干しの洗濯物でも掛けながら花火に気がついた、というような光景を思い浮かべます。いずれにしろ、窓にかじりつくようにして眺めている訳ではない、と思わせるのは「遠」の文字があるせいです。どこかしら放心した気分を感じさせる「遠花火」の季語の働きがあります。
 「縁側」のあった昔の木造建築は今はすっかり影をひそめました。縁側が一般的だったのはせいぜい昭和も半ばあたりまでのように記憶します。作者は現代的な高層階の住宅などに住む方かもしれません。子供時代、縁側で花火を眺めた記憶が甦ったのでもあったでしょうか。そうでなければ「縁側のなき家にすむ」との感慨は出てこないでしょう。その思いが下敷きになっていないと、このフレーズは生きてきません。
 となると、この内容に共感出来る年代は限られてくるかもしれませんね。それはそれとして仕方のないことです。自分が生きてきた時代に培われた心情を大事に詠んでいきましょう。
 この句の場合は「すむ」(「住む」)と終止形で切るよりも、「住み」と連用形でとどめた方が、たゆたうような趣きが出るようです。平仮名よりも漢字にすると意味がはっきりします。

《添削Ⅰ》

  遠花火縁側のなき家に住み

 上五が名詞できちんと切れていますから、句末を連用形にしても緩みなく収まると思います。



(c)masako hara






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