わかりやすい俳句添削教室
原 雅子 いしだ


第22回 2011/8/12 


《原句》①

  白旗の昆布干場に老いにけり

 昆布は北海道・東北地方が主な産地になっています。特に北海道の日高や利尻
などはよく知られていますが、この昆布漁は真夏に行なわれます。この時期、浜は干された昆布で、絨毯を敷きつめたような壮観を呈するとのことです。上等のものはねじれの無いように一本ずつ並べて干されるそうで、二、三メートルにもなる長さだけに作業の大変さが思われます。
 さて原句の「白旗」について。昆布漁では時間を決めて採集の船が沖に出ますが、その許可の合図をしているのが「白旗」です。採ってはいけない時間帯や時化などの時は「赤旗」が揚げられるといいます(地域によって旗の意味が異なる場合もあるようですが)。
 作者は昆布干場での作業を生業にしている方、もしくはその家族の方かと想像します。「老いにけり」との感慨は、そういう労働を背景にして成り立ちます。この場合、「白旗」が揚がっている昆布干場、という限定をすることがふさわしいかどうかです。境涯を述べている訳ですから、これは長い時間経過を示します。つまり「白旗」の時ばかりではなく、良い時も悪い時もあった筈で、そうであればこそ「老いにけり」がしみじみ響いてくるのではないでしょうか。
 そうなると考えられるのは、まず地名を入れるという案です。例えば羅臼の辺りでしたら「知床の昆布干場に老いにけり」というように。
 もう一つは、昆布干場の状景を大きく捉えられるような措辞、実際の場が分からないので想像でしかないのですが、取り敢えず、<潮風の><沖荒き>などと考えましたが、

《添削》

  荒磯の昆布干場に老いにけり

としておきます。厳しい自然を感じさせる「荒磯」の語が「老いにけり」の感慨に呼応するかと思います。「荒磯」は「ありそ」とも読みますが、ここでは「あらいそ」の読みで五音に整えましょう。




《原句》②

  山里の朗ら朗らと青胡桃 

 「朗ら」は<ほがらか>の意です。胡桃は栽培もされますが、原句からは産地に自生する小粒のオニグルミなどを思い浮かべます。背の高い木ですが、晩夏の頃、枝葉の合間から二つ三つずつ固まって顔を覗かせている青い実は、悪戯小僧のような印象で眺められます。
 この句のお手柄は何といっても青胡桃を「朗ら朗ら」と捉えたところにありました。きっと良いお天気だったことでしょう。
 惜しかったのは「山里」という場所の説明です。実際の場所を示すという以上に、のどかな気分を醸しだす言葉を加えたいという意図が働いていたかもしれません。その意図自体は悪くないのですが、一句の中心は「朗ら朗らと青胡桃」にありますから、背景を説明するだけの「山里」よりも、「青胡桃」そのものに焦点を絞っていく効果的な表現を探したいのです。
 「山」は良いと思います。蛇足だったのは「里」でしょうね。ではどうでしょう、先程、良いお天気だったのではないかと言いましたが、青胡桃が朗らかに見えたのは明るい陽光があったからではないでしょうか。そちらを取り入れて、

《添削》

  山の日の朗ら朗らと青胡桃

 日の光も胡桃ものどかに明るい印象で一体となってきますが、上五を「山の日や」と切ることも考えられます。リズムが少し変わります。
 同様に、中七の「朗ら朗らと」の助詞「と」を「に」とした場合、前者は弾みのあるリズムを伴いますし、後者は滑らかに収まります。どちらが自分の気持に叶うかで決まってきます。




《原句》③

  再会の友も白髪雲の峰

 分からないところは一つもない句です。久しぶりの邂逅に、まず眼に飛びこんできたのが友の頭髪の白さ。お互い齢をとったね、と肩を叩き合って、束の間に過ぎた歳月を振り返ったことでしょう。
 「友の」ではなく、「友も」と自分の身を同時に表現して温かい共感が生まれています。その感慨を広やかに受けとめているのが「雲の峰」でした。老いを主題にしながら明るい作品になっているのは季語の持つ印象によります。野外、そして雄大な雲の峰。大きな空間を配して成功しています。
 評者によっては、あるいは、「雲の峰」という白雲の色と形状から、「白髪」との付き過ぎを指摘するかもしれませんが、ここでは雄渾な自然との対照に鑑賞の重点を置いて味わえばよいと思います。




《原句》④

  旧情の君を忘るる油照

 「君」の語からは異性を思い浮かべたくなりますが、特に拘る必要もないでしょう。それにしても単なる知人や友人というよりは、さらに思いの深い相手の場合になるかと思います。
 昔のよしみ、古くからの縁ある人、そういう特別な間柄であった相手とのもろもろの出来事さえも忘却の彼方に去ろうとしている。かすかな心の痛みが「油照」の非情の語に(あぶ)り出されてくるようです。忘恩、といったことさえ連想されます。
 「旧情の君を忘るる」の古風なフレーズは、罷り間違えば歌謡曲的になってしまうところですが、「油照」によって一句の質を転換しました。
 ここで、わざと卑近な解釈をしてみます。――この茹だるような暑さでは古い馴染みも何もかも忘れてしまいそうだよ――。こんな解釈も出来ない訳ではないでしょうが、そうさせないのは、文語体の格調と、「旧情」というやや古格の響きを伴う語の使用によるように思います。
 季語の選択によって生きた作品です。




《原句》⑤
  
  黄金蜘蛛何処で幾何学学びし乎

 黄金蜘蛛という種類があることを初めて知りました。辞書によると、雌は22ミリ、雄は5ミリ、ずいぶん大きさに違いがあります。その雌の背に黄色い筋が三本走っているそうです。これが名前の由来でしょうか。
 原句はその蜘蛛の囲の精妙な構造に感嘆しています。種類はともかく私たちが通常眼にする蜘蛛の巣の場合も、その精密さには驚かされるばかりです。幾何学とはなるほど。童心を感じさせるウイットの句でした。
 このままでも構いませんが、「何処で」のあたりが少々冗長かも知れません。では、


《添削》

  幾何学を学びしかとも黄金蜘蛛

としてみました。こちらが絶対というほどの欠点ではありません。ご参考まで。


(c)masako hara







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