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第25回 2011/9/2 あ | |||
《原句》① 行く夏や街に木の影人の影 「行く夏」は夏の終わりの頃。さすがの暑さも衰えを見せ始めて、ことに立秋間近ともなれば朝晩めっきり涼しさを覚えます。山川草木ことごとく生気に満ちた季節の去りゆく思いには名残り惜しさが含まれます。避暑地ではぼつぼつ閉ざす準備にかかり、子供たちにとっては二学期に向けて気分を立て直す時期にあたります。 日常見馴れた街路樹や人の行き来の姿も、午後の日射しの中で、夏過ぎの一抹の淋しさを伴って感じられてきたことでしょう。〈午後の日射し〉と、時間を限定して鑑賞しましたが、午前よりは午後の、まだ強い陽光に影を深めている樹木や人として、眺めたくなります。 街の中ならば眼に触れる物は数多くある筈ですし、ある程度の喧騒も耳に入ってくるでしょうが、それらこまごました実体を切り捨てて、輪郭だけの「木の影」「人の影」を捉えたところに作者の感覚の働きがありました。これはかなり鋭い感性と思いますが、句の表面には際立たせず、「行く夏」の季節感情に委ねた清潔さが成功をもたらしています。 心理的な陰翳の深さを内にひそめたすぐれた作品です。 ![]() 《原句》② うしろ手の届かぬあたり初浴衣 まだ着馴れていない、ぴんと糊気の強い浴衣に袖を通す気持の弾みと、着付けのもどかしさと。きっと若い女性でしょう。きりっと粋な藍染か、それとも白地にやさしい花柄か、初々しい姿体まで眼に浮かぶようです。 「うしろ手」に直したかったのは衿の抜き加減でしょうか、背縫いの曲り具合だったでしょうか。手が空を摑むばかりでなかなか巧くいかない様子です。「あたり」と曖昧に言うよりも、どの部分かをはっきりさせた方が状景が具体的に見えてくるでしょう。たとえば、 うしろ手に帯のとどかぬ初浴衣 としてみます。さらに、この動作に気持を加えると、 《添削》 うしろ手に帯もどかしく初浴衣 帯結びは難しいものです。和服に馴れた人なら、こんなこともないのでしょうが、着物といえばお正月くらいという若い人にとっては、浴衣のように簡便なものでも四苦八苦かもしれません。 帯がもどかしいといえば、次のような句がありました。 少年に帯もどかしや蚊喰鳥 木下夕爾 詩人でもあった夕爾のみずみずしい抒情は、俳句においても数々のすぐれた作品を生んでいます。 掲句は〈帯結び〉という訳ではありません。夕暮近くまで遊びつづけていた少年の、ゆるんだ着物を辛うじて止めている帯でしたが、半分ほどけかかったのを差し込み差し込み、あるいは固い結び目に閉口しながら、日の傾くのも忘れて遊んでいる。もうお帰りよというように蝙蝠が飛び始めた、となりましょうか。 同じようなフレーズがまったく違う場面を描いています。ご参考まで。 ![]() 《原句》③ きちきちや本家に真直ぐ風の道 〈きちきち〉とか〈はたはた〉といわれるのはバッタの類ですが、草叢などに踏み込むと思わぬ高さで飛翔します。飛ぶとき翅を鳴らすのがこのように聞こえることからの命名です。 都会では見かけるのも稀になりましたが、原句は雑草の茂る土の道なのでしょう。畑や田んぼの畦道などが思われます。歩く先々に高上る「きちきち」。辺りに茂る草を揺らして過ぎる風もすでに秋を告げています。 爽やかな秋景色ですが、ここで唐突に挿し挟まれる「本家に」の語は一句の中の不協和音のように響きます。この言葉が作品中に占める意味はほとんど無いと感じられるのですが。何かの用事で本家へ向かう途中だったのでしょうか。仮にそうだったとしても、そのことが眼前の景に与える効果はみられません。単なる付属的な事実にすぎないものです。事実の中の何を切り捨て、何を残すかが大事です。 《添削》 きちきちと跳んで真つ直ぐ風の道 この場合の「きちきち」は、きちきちという音を立てて、という意味になります。音を言うことで同時に虫を言っています。 ![]() 《原句》④ のこぎりを弾く音さやか園の昼 鋸を「ひく」のなら〈挽く〉の字を当てるのではないかと不審に思い、次に、鋸の作業の音は「さやか」という印象ではないが、と重ねて思いつつ読み返して、あれっと驚きました。 生活雑器を楽器として使った演奏をテレビの映像で見たことがあります。この句はおそらくそれなのでしょう。何の脈絡もないように置かれた「園の昼」も、それで納得がゆきます。野外で行なわれた、ちょっと変わった演奏会。鋸は撓って微妙な振動音を出すようです。 これはかなり特殊な部類に入る光景でしょうね。特殊な事実を詠む場合、作者にとっては当然でも、読者に伝えるには周到な修辞が必要です。「弾く」だけでは分かりにくい。殊に耳で聞いた場合、殆どの人が〈挽く〉意で受けとるのではないでしょうか。〈 さらに、震えるような音色は秋のさやけさを覚えさせますが、このままですと、「さやか」は音色を形容しただけに終わりそうです。むしろ〈秋〉と、季節をはっきり出してみましょう。 《添削》 のこぎりを奏でて秋の音楽会 鋸を使っての音楽という面白さに焦点を当ててみましたが、どんなものでしょう。 ついでに、鋸の演奏ではなく、作業の音と解釈した場合の添削としては次のように。 鋸の音きはやかに秋日和 「さわやか」ではなく、澄んだ秋の大気のもとで、くっきり聞こえるというふうに。 ![]() 《原句》⑤ うすばかげろふ胸に畳みし恋ごころ やや情趣に溺れる感がなきにしもあらずですけれど、「うすばかげろふ」と「胸に畳みし恋ごころ」とを照応させた構成です。 薄羽蜉蝣の幼虫は蟻地獄、と知るといささか興醒めにもなりますが、一夏で死んでしまう成虫の命の儚さと、「うすばかげろふ」の音の優しさが嫋嫋たる思いを誘うようです。 情に流れすぎる点を工夫したいものですが、さて。「恋ごころ」が歌謡曲のようで俗な印象をもたらすのかもしれません。まずは、 うすばかげろふ胸に畳みし恋もあり 「恋の」ではなく「恋も」として、そんな恋もあったと少しぼかしました。 上五と、中七以下の照応関係を助詞で繋いで、 うすばかげろふとはひそやかな恋ごころ という形も考えられますが、打ちつけに「恋」を言ってしまわずに、 《添削》 うすばかげろふとは偲ばるる昔かな としてみましょうか。〈偲ぶ昔〉で、そこはかとない慕情、恋心も浮かぶかと思います。古風な趣きになってしまいましたが、まあまあご勘弁下さい。 ただし、この「とは」で続けるのは技巧的なものです。たびたび使うものではないとお断りしておきます。今回は例外として。 ![]() |
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(c)masako hara |
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