![]() |
|||
![]() |
|||
第26回 2011/9/9 あ | |||
《原句》① 鈴なりにお日様見てるりんごっこ 赤い頰っぺの林檎たち、と思わず言いたくなる童謡のような作品です。「りんごっこ」は「林檎っ子」の意ですね。林檎を擬人的に扱っています。「見てる」もまた擬人法になります。作者の童心がこのような表現をもたらしたのでしょう。 親しみ深い果実ですから、ついこのように詠みたくもなるのですが、少々、興じ過ぎてしまったようです。作者が面白がってしまっては、読者としてはそれ以上想像する楽しみが残されていないのではないでしょうか。眼前の状景としては、良いお天気、そして鈴なりの林檎です。 林檎鈴成り燦燦と日を受けて 抑えた表現にするなら、こういうことになりますが、作者の楽しい気分が消えてしまいました。では、 《添削》 燦燦とお日さま林檎鈴なりに 「お日さま」という愛らしい呼び名の方を生かしてはどうでしょう。 添削例は中七の途中で切れる変則的な切れですが、「お日様見てる」と続けるよりも、「お日さま」と「林檎」の間に空間的な広がりが感じられないでしょうか。 漢字と仮名の表記は作者の気持ちに叶うものを選んで下さい。 ![]() 《原句》② 学び舎に見知らぬ教師秋暑し 卒業後、久しぶりに学校を訪れた場合などかと思います。只今現在、生徒であるのなら、これは新任の先生というわけで、「見知らぬ」との印象とは違ったものでしょう。 その一瞬の違和感を「秋暑し」の季語に代弁させています。単なる〈暑さ〉とは違って、「秋暑し」は季節のずれた暑さです。そこには自ずから一種屈折した思いがまつわります。 沈潜した情感で一句をまとめるとすれば、〈秋 この句のような経験はよくある日常の一齣として見過ごしやすいことですが、すかさず作品に掬いとって出来上がっています。 ![]() 《原句》③ 山里や夢の中まで虫の声 眠りにつくまで、虫の声に耳を傾けていたのでしょう。ことさらに聴こうとしなくとも、耳の奥に棲みついてしまったような虫の音。 それは「山里」でのことである、と言っている訳ですが、ここで、もの足りなく感じられるのは「山里」という大雑把な場の設定です。この場所が作者にとってどういう関わりを持つのか、そこにもう一歩近づけると中七以下のフレーズがいま以上の膨らみを持ってきます。原句のままですと説明・報告の域を抜けきれないようです。 どういう状況であったのか、たとえば旅行先の山の宿であるとか、久しぶりに帰省した故郷であるとかいろいろ考えられますが、「山里や」の客観的な措辞からは常住の地の可能性は薄いと思われます。(「山里は」ならば、自分も住んでいるこの山里では、との解釈も出来ますが)。 まずは〈故郷〉としてみましょう。 《添削Ⅰ》 故郷は夢の中まで虫時雨 「虫の声」ではなく「虫時雨」にしたのは、辺りいちめんにすだく沢山の虫の音の方が中七の「……まで」という勢いに照応するからです。故郷全体を覆うような広がりを持つかと思うのですが。 次に、〈旅行先〉での経験として、山の宿のような場所でもいいのですが、このまま〈山の宿〉を上五に置いてしまうと、これもやはり場の説明に過ぎません。折角なら旅情が滲むように、 《添削Ⅱ》 旅の夜の夢に入り来る虫の声 旅の一夜、眠りの中に虫の音がしのびこんできた、という趣きになりませんか。こちらは、虫の大合唱よりも、或る一つの虫の声がしみじみと感じられた、というようにしたいのです。中七を「入り来る」と替えたのは。そんなひそやかさの表現です。鉦叩きのチン、チンという声など想像してもらえれば有難いですね。とはいえ、ただ一つの虫の音に固執して鑑賞する必要はありませんが、静かな印象であることにはかわりありません。 ![]() 《原句》④ 稲の出来問はれて答へ田んぼかな そろそろ収穫の時期にさしかかって、稲の実の入りはどうかと確かめているさなか、来合わせた知り合いとのやりとり。そんな光景が浮かびます。「今年の出来はどうだね」「ああ、台風を心配したが何とか無事に過ぎてくれて、実の入りも良さそうだし来週あたりから忙しくなるな」「結構だねえ」、そんな会話が聞こえてきそうです。 「問はれて答へ」は、その通りでしょうが、このように〈問われる〉〈答える〉という一連の動作・作用を表すフレーズが浮かんだとき、どちらか片方にしたらどうなるかと推敲してみることをお勧めします。たとえば〈抓(つま)んで捨てる〉、〈押して入る〉なども同様で、一つの動きに絞ることで内容が鮮明になることが多いものです。〈問われる〉か〈答える〉か、どちらが状景をいきいきと見せるでしょう。作者がどちらに重点を置くかですが、取り敢えず、 稲の出来問はれていたる田んぼかな としてみましょう。次に、下五の「田んぼかな」。これでも一通りの景にはなりますが、もう少し視線を近づけた位置にすると、 《添削》 稲の出来問はれていたる稲の中 としてもよさそうです。稲穂の中から半身突き出している姿が見えてくるかと思うのですけれど。 ![]() 《原句》⑤ 足湯ぬくもる友と二人の秋一日 親しい友人との小旅行でしょうか。行楽地などで足湯が設置されているのをよく見かけます。 私も最近、埼玉県の小川町という紙漉きで知られた里の駅前で、土産物店の一隅にしつらえられた足湯を楽しみました。歩いた後の疲れを癒してくれる、なかなかいいものです。 秋晴れの一日、仲良し二人が足湯に浸って会話も弾んだことでしょう。 状景はよく分かります。細かい部分の無駄を省いて引き緊めてみましょう。まず、「友と二人の秋一日」のやや説明的で冗漫な点を工夫することと、上五の字余りを手直しします。 《添削》 秋うらら足湯に友と並びゐて 「友と二人」の姿を眼に見えるように描きます。原句に表現されている幸福感は〈秋うらら〉の季語に受け持ってもらいましょう。 この季語は、春の〈うららか〉に対して秋晴の穏やかな天候と気分を伝えてくれます。これなら「ぬくもる」まで言わずとも充分です。 ![]() ※原句⑤で触れた埼玉県小川町についてご紹介しておきましょう。 この地は外秩父の山並に囲まれた「和紙のふるさと」です。数件の紙漉き業者が現在も生産を続けており、和紙の工芸館もあって、いずれも紙漉き体験をさせてくれます。小川町の紙生産は江戸初期にさかのぼるのだとか。 当地に材をとった俳句があります。 紙漉きの水音さむく暮れにけり 田中冬二 紙 工芸館近くの林にはカタクリの群生地があり、春先に美しい花を咲かせます。エゾエンゴサクの薄紫の花も同時期で、私はこの花が好きなものですから、時々出かけます。 酒造も盛んな土地柄で、下戸の方向きには駅近辺の和菓子屋さんに酒ケーキというものもあります。 話が横道に逸れましたが、〈紙漉き〉は冬の季語ですから、その頃、吟行に出かけて作句するのも楽しいのではないでしょうか。 |
|||
(c)masako hara |
|||
前へ 次へ 今週の添削教室 HOME |