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第27回 2011/9/16 あ | |||
《原句》① 泳げ君光る雲の下波の間に 俳句を詠むのは初めてという作者です。 「泳げ君」のように大胆で初々しい呼びかけは、長年俳句に携って手馴れてきたりすると、使えなくなる言葉かもしれません。 人の作品を読む愉しさは、自分が忘れてしまっていたり、思いつかなかった言葉や詩情の在り処に刺激を受けることにあると思います。このことにベテラン、初心者の別はありません。 作者の思いはこの上五に集約されているのでしょう。さらにそれが、空と海との真只中という広い空間で捉えられています。ただし、表現の上では「雲の下波の間」と、位置をこまごま説明する結果になっているのが残念。これでは読者の視線は上から下への確認に追われてしまいます。一瞬の把握にしたいのです。中七の字余りも工夫してみましょう。 《添削Ⅰ》 泳げ君雲と波とのきらめきに 原句では「光る」は「雲」だけを形容していますが、作者の気持ちからいえばすべてがきらめく光の中に感じられていると思います。添削はその点に留意しました。 この添削例では手放しに謳いあげてみましたが、「泳げ君」と「きらめく」を重ねると、思いが突っ走って少々気恥ずかしくもなります。中七以下を抑制してみます。 《添削Ⅱ》 泳げ君雲と波とのただなかに 泳げ君湧きつぐ雲のただなかを 前句は具象性に欠けるようです。「泳げ」の語で、海・波は分かりますから、こちらを切り捨てて「雲」の描写を詳しくしてはどうでしょう。雄大に湧き上がる雲を頭上にした空間の広やかさが伝わるかと思います。 夏の季語〈泳ぎ〉で、青春性を感じさせる例句を歳時記から拾ってみました。 愛されずして沖遠く泳ぐなり 藤田湘子 立ち泳ぎしては沖見る沖遠し 福永耕二 水原秋櫻子に師事した二俳人です。湘子句は男女の恋愛としても読める句ですが、作品の背後に師との気持ちの行き違いがあったと聞きます。耕二は清新な抒情で知られた人。「沖遠し」のフレーズにその抒情性が窺われます。 原句作者は心情表現に意欲のある方かもしれません。この二例句など、よい参考になるのではないでしょうか。 ![]() 《原句》② うつむくも蟬に誘われ雲の中 いくらか重い気分に捕われていたのかもしれません。ふと、蟬の声に気付いて耳を澄まし、心が伸びやかになっていったのでしょう。 童話ならば蟬に連れられて雲の国に遊びに行ったという奔放な想像の世界も可能ですが、ここでの「雲の中」は心象としての、つまり雲中にいるような心持を表しています。 原句は「蟬」となっていますが、蟬の声をはっきり出した方がよさそうです。さらに、句の中心になるのはその蟬の声によって呼び覚まされた心持ですから、「うつむくも」という条件付けの部分は省いてはどうでしょう。あれもこれも取り込んでしまうと主題がぼやけます。 「うつむく」で表現したかった心の屈託を中心に据えたい場合は、また別の作品を工夫することになります 《添削》 蟬しぐれ雲の中なる心地して うつむけばまたしきりなる蟬時雨 それぞれ省いた部分が違います。ご参考下さい。 ![]() 《原句》③ 番屋の灯二百十日の海照らす これはみごとな作品だと思いました。番屋といえば鰊や鮭漁をすぐ思い出しますが、漁期に漁夫たちが寝泊まりする小屋です。 現在もこのような番屋の生活があることを知りませんでしたが、どういう場所で、どういう魚の漁獲なのか、想像を刺激されます。 「二百十日」は立春から数えて二百十日目、九月一、二日ごろになります。季節の変わり目に当たるこの時期は気象変動のため大風雨となることが多く、稲に多大の被害を与えるので農家にとっては要注意ですが、もちろん海上の荒れもある訳です。原句は海浜生活に材を取って詠まれています。 二百十日という日付に意味があることで、実際に風雨が来ているかどうかは句の表面上は言われていませんが、厄日ともいうこの日のどこか不穏な海の気配は充分に伝わります。風が出始めているのかもしれません。番屋からの明りが暗い海に射し込んで、鉛色の波のうねりを見せているのでしょう。 無駄のない引き緊まった句です。 ![]() 《原句》④ 栗飯や腹に重たき実りかな 充実した栗の実をご飯に炊きこんで十二分に味わった後の〈満腹満腹〉という句意でしょうね。栗はもちろんのこと、芋やら豆やら新米やら、秋の実りは美味のオンパレードです。 初物の栗だったのでしょうか。充分すぎるほど堪能した満足感の筈なのですが、どこやらうんざりしているように受け取れるのは「重たき」という形容のせいです。ひょっとすると、食べ過ぎて苦しいということだったのかもしれませんが、折角の季節の恵みです、幸福な気分がゆきわたるように詠んでおきたいものです。では一例として、 《添削》 ふくふくと腹におさまる栗の飯 ![]() 《原句》⑤ 大鳥居色なき風も潜りけり 「色なき風」は秋風のこと。古歌に用例のある言葉で、華やかな色が無いとの意味になっています。もともとは、秋に白を配すという中国の五行思想を引いたもので、古(いにしえ)の歌人たちは〈色なき〉を表面に立てつつ、秋のあわれを身にしむ色として観じていたようです。 時代は下って、江戸期の芭蕉には「石山の石より白し秋の風」があり、〈白秋〉の意を呼び込んでいます。 詩歌史上の〈色なき風〉の変遷を知ることで、連想作用も広がるかと思います。 そこで原句、「色なき風も」の「も」は、作者をはじめ多くの人々が潜る鳥居に「風」も仲間入りしているのですが、「風」だけに焦点を当てて断定しましょう。句意が明確になります。 《添削》 大鳥居色なき風の潜りけり ![]() |
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(c)masako hara |
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