わかりやすい俳句添削教室
原 雅子 いしだ


第32回 2011/10/21


《原句》①

  金木犀子の言葉また思ひ出し

 金木犀はモクセイ科の常緑小高木。〈木犀〉と総称される仲間には、他に銀木犀、薄黄木犀などがあります。秋、芳香をあたり一帯に漂わせて楽しませてくれる樹木です。
 繰り返し思い浮かぶ「子の言葉」とは、いったいどんなものだったのでしょう。小さな諍いの中で子の一語にはっと胸を突かれた、といったことがあったのかもしれません。それとも何気ない一言の優しさをたびたび反芻する、という場合でしょうか。いずれであってもよいと思いますし、さまざまに想像が広がります。
 いくたびも、ふと思い出すということ、この〈ふと〉という状況の契機になっているのが「金木犀」の香りですが、この季語の選択には実感がありました。視覚だけの花であるより嗅覚を伴うことで呼び覚まされる記憶であったのはすぐれた把握と思います。
 さてそこで工夫したいのは修辞です。語末の下五の部分ですが、「思ひ出し」と連用形で終わっているために緩く流れてしまっています。引き緊めるには〈思ひ出す〉と終止形にするのも一法ですが、「子の言葉」をもう少し強く響かせたい。となると、
  金木犀また思い出す子の言葉
としてみます。中七下五は引き緊まりましたが、今度は上五が名詞で切れて、下五も名詞で止めたために窮屈な調(しら)べになりました。
 上五を考えてみましょう。「金木犀」は総称としての〈木犀〉に含まれますから、こちらの語を使って、切れ字〈や〉で整えます。

《添削》

  木犀やまた思ひだす子の言葉




《原句》②

  家事半ばコーヒー香り秋日和

 良いお天気の秋の一日。こんな日には家事の段取りも気持ちよく捗ります。家中の掃除を済ませ、洗濯機を回し、さて仕上がるまでのひととき、一息ついてコーヒーでも淹れるとしましょう。明るい鼻歌まで聞こえてきそうです。
 日常生活の一齣が朗らかに言い取られています。気分が良すぎたせいでしょうか、句の形までぽんぽんぽんと三つに弾んで切れてしまいました。「家事半ば」・「コーヒー香り」・「秋日和」という切断です。このように一句に三箇所の段落を有する形を三段切れと呼んで、内容の中心が不明確になりやすく煩雑さを招くため、避けた方がよいとされる用法です。原句も例外ではありません。
 それではどうするかですが、上五と中七を一続きにして意味をつなげましょう。

《添削》

  家事の合間のコーヒータイム秋日和


 原句では「香り」の語が入っていますが、コーヒーといえば充分に感じられると思います。上五は七音の字余りになりますが、声に出して読んで下さい。さして気にはならない筈です。上七音の字余りは破調とはいえ、リズムが整いやすく、例句も案外多いのです。
 今回はこのように手直しをしましたが、用いる言葉を考えていく方向として、たとえば「家事」という概念的な語の代わりに〈掃除〉〈洗濯〉のような具体的な言葉ならどうなるか、また季語の「秋日和」も〈野分晴〉〈菊日和〉〈秋高し〉などにすると印象がどう変わるか、そんなふうにいろいろ工夫してみると、作句の幅が広がります。
 三段切れについては以前も述べましたようにこの形を生かした句というのもあるのです。よく例に取り上げられるのは
  初蝶来何色と問ふ黄と答ふ     高浜虚子
の句ですが、虚子句の自在の面白さはそれとして、この用法を使うのはよくよくの場合と心得ておきましょう。




《原句》

  港町競り合う声や秋市場

 漁場近くの活気に満ちた魚市場の状景でしょう。
 原句②と同様にこちらも「港町」・「競り合う声や」・「秋市場」の三段切れです。
 さらに「港町」と「秋市場」と、場所を示す言葉が二つ重なっていますから、どちらかを省きましょう。魚の競りが行われている光景が句の中心ですから、「港町」は場の範囲が広すぎます。「市場」を採用することにして、次に「秋市場」の語が問題です。
  春夏秋冬、どの場合も同じことですが、季節を冠すればそれがただちに季語となる訳ではありません。というより、強引な季節の扱い方であるといった方がよいでしょうか。たとえば〈秋鉛筆〉〈秋手紙〉などの言葉が成り立たないのと同じようなものです。
 一見、似たような姿をした季語に〈秋扇〉〈秋簾〉などありますが、こちらは秋であることにちゃんと意味を持っています。本来、夏に使われる扇や簾がその季節を過ぎた侘しさというものが情趣の中心になった言葉です。「秋市場」にはそのような意義はありません。一句の内容に深く関わって、どうしてもこの季節の市場であると言いたい場合は、せめて〈秋の市場〉と、〈の〉の助詞を入れるべきでしょうね。それにしてもむやみに使うことは戒めたいものです。
 〈秋〉の季節感は作品全体を包むように表したいと思います。

《添削》

  秋晴や競り声高き魚市場




《原句》④

  秋灯し浦里にバス来たりけり

 「浦里」は地名なのでしょう。海辺、それも入江の小さな町を思い浮かべたくなります。
 同時出句に「秋灯や浦里にバス五六人」もありますので、乗降客もそう多くはない鄙びた漁村かもしれません。実際にその土地を知らなくとも、文字によって想像が広がるのは楽しいですね。この地名、秋の気分によく似合っています。地名によって生きた作品です。
 上五の「秋灯し」は名詞の場合送り仮名を付けず〈(あき)(ともし)〉で構いませんが、浦里の町の灯なのか、バスの明りなのか曖昧です。前者なら、

《添削Ⅰ》

  秋の灯の浦里にバス来たりけり

 となりますが、後者ならば少し手を加えましょう。語順を換えて、

《添削Ⅱ》

  浦里へ最終バスの秋灯

 原句では、バスは浦里に到着するように詠まれていますから、そちらの意を汲めば〈浦里に着きたるバスの秋灯〉が正確ですけれど、それでは何ということのない出来事の報告に終わってしまうようです。「浦里へ」と、これから向かう場所への距離感を出すことで、景が広やかさを増すでしょうし、バスに性格を加えて「最終バス」としたのも句の味わいを深めるための工夫です。
 もう一つ、参考例として、
  浦里へ向かふバスの灯夜の秋
 先に言っておきますが、〈夜の秋〉は晩夏の季語で秋ではありません。夏も盛りを過ぎて、秋を思わせる夜の涼しさを言った季語です。内容が引き立つ季語と思います。
 この例で見てほしいのは、〈灯〉と季節とを分けた点です。
 〈秋灯〉は、家や部屋、机など場所を照らすものとして詠まれている例が多いのです。バスや電車の照明は単なる〈灯〉であって、これを〈秋灯〉と詠んでいる例句は極く少ないものです。その場合も違和感のない詠まれ方がなされています。たとえば
  秋の燈が漁家より海へ乗り出だす  山口誓子
  師をかこむ船の秋燈くらけれど   五十嵐播水
などです。先人のすぐれた作は別ですが、用い方の一方法として、分けて使うという工夫もご参考下さい。




《原句》⑤
  
  風の色花魁淵のひるの星

 〈色なき風〉も〈風の色〉も、秋の風をいったものです。もともとは秋に白を配した中国の考え方から来たものですが、日本の歌人たちは秋風に身に沁む色、つまり情趣を発見していった、との尾形仂解説があります。古歌によって培われた季題といえるでしょう。
 「花魁(おいらん)淵」は何らかの由来によるかと思われますが、ドラマチックな名称です。「ひるの星」はその由来に関係するかもしれませんが、それでは虚構をそのままなぞることになってしまいます。ここでは一句をなるべく(じつ)の方に引き寄せていきましょう。
 眼には見えない「ひるの星」を幻視するのではなく、〈昼〉の時間のみを採用して、ドラマチックな要素は「花魁淵」の名だけに委ねます。

《添削Ⅰ》

  風の色花魁淵の真昼時

 「風の色」は特殊な用語です。句中にインパクトの強い「花魁淵」のような言葉がある場合、他の部分はなるべく抑えて普通の言葉である方が中心が生きてきます。さらに「色」と「花魁」の語とは互いに障り合ってうるさい感じがしないでしょうか。

《添削Ⅱ》

  秋風や花魁淵の真昼どき

 原句に添って下五を〈昼〉としておきましたが、この部分はまだ工夫の余地があるかもしれません。いろいろ考えてみて下さい。




(c)masako hara







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