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第33回 2011/11/04あ | |||
《原句》① 秋深し形見の靴に旅偲ぶ 故人は旅を好んだ方だったのでしょう。連れ立って出かけるということがあったのかもしれません。遺された靴に、在りし日の元気な姿を重ね合わせて、秋深まる思いをあらためて感じているという句意です。 中七下五が説明的で平板に感じられますから引き緊まった表現を工夫しましょう。「形見」といえば「偲ぶ」は言わずもがなです。 《添削Ⅰ》 行く秋や形見となりし旅の靴 上五を原句の「秋深し」から「行く秋」に代えたのは中七の「……なりし」の「し」と音が重なるのを避けるためです。似たような意味ですが、去りゆく季節への感情は「行く秋」が強いようです。心情が強く出過ぎるようなら「深秋や」としてもよいでしょう。言葉は微妙なニュアンスの差を生みますから、数多ある中から自分の心持にぴったり来る言葉を選べるように、語彙を豊富にしてゆきたいものです。 次にもう一つ考えてみたいのは、故人との関係です。友人あるいは夫、子、それらをはっきりさせることで作者の情感の在り処が鮮明になるのではないでしょうか。 加えて、旅の性格が定まると感慨が深まるようです。どういう状況であるか手がかりがありませんので取り敢えずの例ですか、 《添削Ⅱ》 身に 「登山」として、旅の内容を規定しました。これで中七下五が〈物〉を提示しただけのかたちになりましたから、心境的な響きを持つ〈身に入む〉の季語を用いてみました。あまりベタベタと心情的になってもいけませんが、この程度なら許容範囲かと思います。 作者の意図とは異なるかもしれませんが、作句の参考として下さい。 ![]() 《原句》② 山晴や逆白波の秋の川 〈天気晴朗なれども波高し〉のような状況ですね。ただし原句には〈なれども〉の逆接表現の語はありません。「逆白波」といえばかなりの強風のはずですが、一句を順序通り読みますと、山がくっきり見える上天気と思う間もなく、突然の「逆白波」に続きます。これは景色としては唐突な変化です。この間を繋ぐ掛け橋がないため違和感が拭えません。 晴れてはいるけれども風がある、それを無理のない表現にしたいのです。 晴れてゐて逆白波の秋の川 「晴れてゐて」と条件を付けるフレーズにしてみました。原句では「山」「川」と視線が二つに割れています。それを「川」の情景に絞ることで唐突さがいくらか抑えられるようです。 作者は「山晴」に思い入れがあるでしょうか。たしかに景色と気象を同時に感じさせる気持ちのよい言葉です。生かす方法を探してみましょう。「山晴や」と切らずに「山晴に」と関連させる語法で山と川の対比を強調することも出来ますが、 《添削》 山晴に風 山と川という対比には平凡な印象があります。川波であっても同じようなものです。せめて〈河原〉の砂地や石に眼を転じて、質感を強めてはどうでしょう。風の吹きはじめた広い空間を作品の中心に据えて近景を完成させます。 ![]() 《原句》③ 秋寒し夕暮急ぐ西の空 たった今まで夕焼が杏色に空を染めていたのに、気がつけば薄暮が迫っている。〈秋の日は釣瓶落し〉とはよく言ったものです。 この〈釣瓶落し〉、評論家の山本健吉によってたちまち定着した新しい季語です。例句としては次のようなもの。 釣瓶落しといへど光芒しづかなり 水原秋桜子 釣瓶落し家裏に抜く葱二本 相馬遷子 抒情表現による主観写生を樹立した秋桜子の格調高い前句、一方その高弟であり境涯的風景句に進んだ遷子の後句、ともにこの新しい季語を生かした秀れた作品です。 話が逸れましたが、原句はまさに釣瓶落しの秋の落日を思わせます。晩秋の夕暮そのものが言い取られていますが、中七下五のフレーズと上五の季語の内容がダブって感じられるのが残念です。 冬の季語〈短日〉の傍題に〈暮早し〉があります。原句の「夕暮急ぐ」は意味的には似たようなものですからダブり感はそこからも来るのでしょう。景としても、このままでは一面的になるようです。発想を転換して状景を広げてみませんか。 上五を、時候や天文から離れて、生活・動物の項からの季語など身近の生活実感に即した言葉を入れてみると「夕暮急ぐ西の空」がより鮮明に印象されてくると思うのですが。たとえば食物、もしくは田畑で使う道具類といったものが思い浮かびます。 鳥威し夕暮急ぐ西の空 といった具合です。 人間臭さを離れた風景ということであれば、虫鳥、植物が考えられます。この時期、群れをなして移動する椋鳥をよく見かけるのですが、 《添削》 椋鳥に日暮を急ぐ西の空 「夕暮急ぐ」よりも「日暮を急ぐ」の方が調べが整うようです。また、「椋鳥や」と切らずに「椋鳥に」として「西の空」と関係づけることで ![]() 《原句》④ 鱈ちりや五勺の酒に足るを知る 鱈は北国の冬を代表する魚。鱈ちりは淡白ななかに旨味が凝縮して、ついついお酒が進む鍋物ですが、つつましく「五勺の酒」で満足したところが眼目です。 〈足るを知る〉という成語が使われていますが、そのために一般概念的になって実感を削ぐようです。ここは素直に自分の心持ちを述べるだけにとどめましょう。 《添削》 鱈ちりや五勺の酒に足らひをり 〈足らふ〉、満足するということです。 ![]() 《原句》⑤ 思ひ出をくべて燃やせば曼珠沙華 非現実の心象句です。現実を描いた写生句は読者の共感を得やすい利点がありますが、非現実を主題にした場合、作者の直感が即座に伝わるかどうかが勝負です。 曼珠沙華の特殊な形状と色彩は、現実の時空を超えて想像を掻き立てるものかもしれません。「思ひ出」と「曼珠沙華」、お膳立ては揃いましたが、読者の共感を呼ぶためには、その結びつき方に周到な修辞が必要になります。 まず中七「くべて燃やせば」。〈 次に「燃やせば」ですが、文語表現において、〈ば〉という接続助詞には二つの使い分けがあります。 ①動詞未然形+ば(燃や ②動詞已然形+ば(燃や こう書くとややこしそうですが、次のように覚えておいて下さい。 ①は実際には起こっていないことです。〈もしも……したら〉の意味です。 ②は事柄が起こった場合です。〈……したら〉、〈……したところ〉の意味になります。 原句は実際に燃やした訳ではありません。〈もしも思い出を燃やしたならば〉ということですから①の形が正しい使い方です。 次のような例があります。 この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉 三橋鷹女 これも〈もしも〉という仮定ですから、〈登 烈しい情念の句ですが、原句にも情念に通じるものがありそうです。では、 《添削Ⅰ》 思ひ出を燃やさば千の曼珠沙華 思ひ出を燃やさば曼珠沙華一本(一花とも) 数限りなくとするか、たった一本に思いをこめるか、気持ちに叶う方を。 さて、これとは別に、考え方を変えて、現実により近い形にしてみましょうか。 《添削Ⅱ》 思ひ出のところどころに曼珠沙華 思い出を辿るとき、その長い時間の折々に点景のような曼珠沙華の記憶が甦る、という意味です。 ![]() |
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(c)masako hara |
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