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第36回 2011/11/25あ | |||
《原句》① 満天の星の観察鹿の声 都会ではとても望めないことですが、地上の灯に邪魔されない場所で仰ぐ夜空には、これほど沢山の星があったのかと感嘆します。 星空観察ツアーなどもあると聞きますが、特に国立天文台のある長野県野辺山高原は人気のスポットだそうです。野辺山高原は八ヶ岳山麓で標高も高く空気も澄んでいるので、星の輝きもさぞやと想像しますが、ほかにも各地で行なわれているらしく大抵は山の頂きや山腹といった場所だということです。 作者もそのような催しに参加なさったのかもしれません。星を眺めている最中に鹿の声が聞こえたという状況は、空想では出てこない臨場感があって面白く拝見しました。 ただし、句の構成の上で少々難があると思われるのは、せっかくの「鹿の声」が何の脈絡もなく、ぽつんと下五に置かれている点です。このままでは唐突すぎて、とってつけたような印象が否めません。上五中七のフレーズと関わり合う表現にしたいのです。簡単に直すのであれば、 満天の星観みてをれば鹿の声 となりますが、作品の中心になるのは星の観察中に鹿が鳴いた意外性です。 ならば、「満天の」の形容はむしろ省いた方が一句の核心がはっきりします。 さらに、作者一人で〈観ている〉よりも〈観察会〉のように、催しの最中である方が、突然の鹿の声に驚きが強まるでしょう。では、 《添削》 鹿の声聞こえて星の観察会 ![]() 《原句》② 底冷ゆるうつばり太き通し土間 「通し土間」は入口から裏口までずっと伸びた土間のある建築様式をいうのでしょう。豪農であった旧家で、このような造りを見たことがあります。土間の片側は座敷部分、反対側の入口近くには大きな炉が切られ、作業用でしょうか広い空間があって、奥の裏口近くには 「うつばり」は梁。柱上に渡して小屋組を受ける横木ですが、切り揃えた角材よりも一本丸ごと曲りもそのままに使われた梁が、先に述べたような家屋を思うとき、ふさわしいようです。 「うつばり」も「土間」も、先祖代々の家の歴史を見守ってきた家霊がひそむかに感じられるのは、〈底冷え〉という季語の重みによるのでしょう。 格調のある一句です。「底冷ゆる」が連体形で、次のフレーズに続いてしまうのが残念。これは〈底冷えや〉としてはっきり切れを入れたいところです。 付言しますと、〈底冷え〉という名詞形はありますが、これを〈冷ゆ〉と同じ動詞のように扱って「底冷ゆる」とするのは少し無理がありそうです。熟さない言葉の部類ではないでしょうか。 《添削》 底冷えやうつばり太き通し土間 ![]() 《原句》③ 蒲団干す陽の香ふんわり母の貌 優しい句です。誰の気持の中にもこういう思いが宿っていることでしょう。十中八九の共感を呼ぶはずです。 さてそこで、万人共有の感情に訴える内容ということには二種類あって、言われてみてはじめてああそうだと自分の気持を掘り起こされるように感じる句、もう一つは、その通りよく分かるという句、その二つに分かれるかと思います。 問題は〈その通り、よく分かる〉という場合ですが、これが曲者。類想に通じてしまうのです。原句もその点を免れないようです。 蒲団から日の匂い、そして母を感ずるという一連の連想は、今では沢山ありすぎて作者だけの切実な発見にはなり得ません。厳しくいえばそういうことですが、作者には捨てがたい思いもあることでしょう。類句類想を恐れず自分の素直な感情を表出するという基本に立ち返って見てみましょうか。 甘くなりそうな措辞は「ふんわり」です。これを省いて引き緊めます。 《添削》 蒲団干す陽の香の中に母の顔 原句では「貌」と表記されていますが、少しことごとしい感もありますから普通に〈顔〉でよろしいでしょう。 歳時記の例句から似た題材の句をご紹介しておきます。ご参考に。 冬蒲団妻のかをりは子のかをり 中村草田男 寝かさなき母になられし蒲団かな 岡本松濱 ![]() 《原句》④ 立冬や浅間山の噴煙まるくなる 秋も深まって一日一日寒さを覚えるようになった或る日、暦の上でも冬に入った、というのが立冬。昨日と今日で格別の違いがある訳ではないのですが、いよいよ冬を迎えたと思えば、辺りの空気も一段と冷えを加えて凛と澄み渡るような気がします。 そんな中、はるかに振り仰ぐ浅間の山頂には噴煙がたなびいている。いい風景です。 気になったのは「まるくなる」という表現です。立ちのぼる煙が円や球形をなすとは考えにくい。薄れていく状態を言ったものか、それとも低く途切れているのを言ったものでしょうか。 作者の気分として、噴煙の様子を穏やかに感じ取ったということでしたら、この〈まるい〉では不充分ですし、それより何より、せっかく大柄な叙景句になりそうな作品が台無しになってしまいます。ここは是非、客観的な風景描写で徹底しましょう。 原句の場合、付け加えて申しますと、立冬すなわち〈冬に入った〉ということと、〈まるくなった〉という二つの事柄の間に因果関係が感じられてしまうのです。つまり〈冬になったから、まるくなった〉という文脈です。因果関係は理屈や説明に終ることが多いものです。極力避けておきましょう。 さて元に戻って、〈まるい〉のは噴煙が低くたなびいている状態と解釈して、次のようにいたしました。 《添削》 立冬や噴煙低く浅間山 ![]() 《原句》⑤ コスモスの風稜線をきはだてり 「稜線」は、山の峰から峰へ続く線、尾根のこと、と辞書にもありますが、秋の爽やかな風の中、遠望する尾根もくっきり見えてくるようだということでしょう。そこをいくらか主観的に、風が稜線を際立たせたと表現しています。 「きはだてり」の用法に問題がありそうです。少々ややこしいですが、原句は自動詞〈際立つ(下二段活用)〉ではなく、他動詞〈際立てる(下一段活用)〉を使っています。 〈……を際立つ〉という用法はありませんから、〈……を際立てる〉でよいのですが、この場合は〈際立てたり〉が正しい形です。 作者は、風が稜線を際立たせていると表現していますから、この言葉を使うべきですが、「たり」は仰々しいようです。別の言いまわしにしてみましょう。 《添削》 コスモスの風稜線を際立たす もうひとつ気になる点は、コスモスが咲くような場所は平地ではないかということ。この句でいえば麓のあたりでしょう。風はそこに吹いている訳です。ところが稜線の方は相当高い位置になります。「稜線」にとどくような風でなければ〈際立たせる〉という捉え方は無理ではないか。これは「コスモス」に替わる別のものを探すべきかと思います。作者、ご一考下さい。 ![]() ※ 原句③の例句に挙げた岡本松濱は現在では知る人の少なくなった俳人ですが、「ホトトギス」において人事句の名手として知られた人。「その人事句は、ときに艷冶な匂いを湛え、ときに哀切な韻を発した」と、安住敦が述べています。その作品、 春惜む心にいつか袷かな 春の夜や草履に軽き町歩き 三粒ほど眉に雨降る夏野かな 一人湯に行けば一人や秋の暮 年の市絵本ならべて一むしろ 眼さむれば元日暮れてゐたりけり 明治十二年、大阪の生まれ。虚子に認められて上京後「ホトトギス」で活躍しましたが、事情があって「ホトトギス」を退き、大阪天王寺に帰り記者生活に入ります。一誌を主宰しますがそれも廃刊。昭和十四年、困窮のうちに死去。遺句に、「うすものに骨ばかりなる身をいとふ」「寝てのみの命つたなき十夜かな」。墓は大阪上本町の慶伝寺にあります。この寺はのちに日野草城の墓所ともなっています。 松濱の弟子からは下村槐太という逸材が出ました。 |
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(c)masako hara |
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