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第37回 2011/12/2あ | |||
《原句》① 在るがまま流るる 〈 原句には、日常の自分の暮らしぶりを振り返りつつ、新しい年を迎える思いを噛みしめている趣きがあります。 「在るがまま流るる儘」には、自然体を良しとする作者の姿勢がうかがわれますが、同じような意味の言葉を重ねるよりもどちらか一つに絞りましょう。「在るがまま」の方は肯定する印象がありますけれど、「流るる」となると、自分の意思とは別に、流されていくばかりというマイナスイメージが働きます。 「在るがまま」を生かして、肯定の意を強めますと、次のように。 《添削》 在るがままなるを 〈去年今年〉の例句をあげてみましょう。 去年今年闇にかなづる深山川 飯田蛇笏 命継ぐ深息しては去年今年 石田波郷 一句目の飯田蛇笏は甲斐の豪農地主の家の生まれ。東京での学業生活を捨てて家を継いで後は終生を郷土で過ごしました。格調高く主観性の濃い作風で知られる人。大正期を代表する俳人です。掲句には甲斐の風土が重厚に詠まれています。 石田波郷は四国松山の生まれ。「馬酔木」に入会して上京。「鶴」を創刊し、人間生活に根ざした作品から「人間探求派」の一人に数えられます。戦後、肺結核が生涯の病となり、作品に境涯性が深まってゆきました。 例にあげた両句は、この二俳人の特色がよく表れているといえるでしょう。 ![]() 《原句》② やはらかき光の中の冬桜 冬桜は小ぶりの花ながら美しく眺められます。冬の寒気の中で見るときは健気に凛と感じられたりしますけれど、原句の作者は穏やかな日の光に包まれて、この花を見上げたのでしょう。周囲を取り巻くいっさいのものを排して、「冬桜」だけに焦点を当てました。 淡い水彩画を見るような趣きです。もの足りないと感じる向きもあるでしょうが、これがこのときの作者の捉えたすべてかと思います。 もの足りないと感じさせる一因には、句の構成もあるようです。中七下五がひとつづきの形容となって「冬桜」に掛かっていますので、景に広がりがないのです。 ではどうするかということになりますが、「やはらかき光」をまず充分に印象づけた後に、「冬桜」の姿が見えてくる、としたいのです。つまり一拍間を置く訳です。 《添削》 やはらかき光の中や冬桜 「の」でつなげてしまわず、〈や〉の切れ字を使って、ここで一呼吸入れましょう。 手直しを最小限にとどめて、このようにしてみました。他にも、中七を「光溢れて」などにする方法もありますが、こちらは〈や〉に比べるといくらかおとなしい切れです。 今回はこの形でとどめましたが、次に考えていく方向としては、「やはらかき光」のような把握に具象性を持たせていくことだと思います。 ![]() 《原句》③ 大鷹の力みなぎり風を切る 大鷹は低山帯の森林で繁殖。松などの樹上に巣を作りますが、現在は数を減らしていて、生息する森林を守ろうという運動があるそうです。 猛禽類は、鳥類や小動物のように動く生きものを捕食しますから、飛行は迅速、翼は逞しく強くなるのでしょう。 原句はその「大鷹」の飛翔を力強く捉えていますが、〈力が漲って、そして風を切る〉という語順がやや説明的で、句を平板にしています。風を切り裂いて飛ぶための翼に、ひたひたと力が満ちているという緊張感が出るとよいのですが。 「力みなぎり風を切る」は飛ぶプロセスを述べています。これを一瞬の把握に近づけたいのです。 《添削》 大鷹に風切る力みなぎりぬ 加藤楸邨に、次のような作品があります。 しづかなる力満ちゆき 〈 ![]() 《原句》④ 小春日和や医者待合いの鳩時計 字余りだったり、窮屈だったりする表現をまず刈り込んでいきましょう。上五は〈小春日や〉とすれば五音で収まります。次に、「医者待合い」は、ずいぶん無理をして詰め込んだ言葉です。医院の待合室でしょうね。原句のままですと、医師が待ち合せでもしているようです。〈待合室〉だけですと、病院以外にもありますから、言葉の扱いに苦労なさったかと思います。どこの待合室であってもよいと割り切るか、別の表現を工夫してみましょう。 原句は、さして大きくない個人病院のようなところと想像します。重患も急病人もいまはいない、三、四人がのんびり順番を待っている暖かな昼下がり。可愛らしい鳩時計が柱に掛かって時を刻んでいる。小春日にふさわしいのどかな状景です。単純に手直しをするなら、 小春日や待合室の鳩時計 となりますが、作者が注目したはずの「鳩時計」がどんな印象で眼に映ったのか、そこに比重をかけると〈小春〉の季節感ももっと生きてくるかと思います。 《添削》 鳩時計鳴つて小春の診療所 ![]() 《原句》⑤ なにげない赤子の笑みや七五三 子どもの成長を祝う七五三の行事。氏神に詣でて成長と守護を願い、親類縁者にもご披露します。華やかな衣装を着せられて、この日の主役は緊張気味。とはいえ、お行儀の良いのはたいてい女の子、男の子はすぐ飽きて千歳飴の袋を振り回していたりするのですけれど。 とにもかくにも両親揃って、時には祖父祖母まで付き添っての一家総出。何も知らない赤ちゃんも抱かれて連れられて来ているようです。周囲の華やいだ気分に誘われて、頑是ない赤ちゃんもにこにこ笑っているのでしょう。スナップ写真を見るような光景です。 一瞬のいい状景を切り取った句なのですが、「なにげない」という措辞は蛇足でした。赤ちゃんは本来、無心なもの。もともと他意などあるはずのない存在なのですから〈何気なさ〉は言わずもがなです。 その場に一緒にいるということが眼に見えるような言葉を加えておきましょう。 《添削》 傍らに赤子の笑みや七五三 |
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(c)masako hara |
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