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第44回 2012/2/3あ | |||
《原句》① 大き雪ゆつくり落ちて来て積る 〈雪・月・花〉に夏の〈時鳥〉を加えると、詩歌の伝統的な季節の景物が揃います。 なかでも〈雪〉は文芸の世界にとどまらず、日常生活に大きな影響を及ぼす冬の気象ですから、形態を表す呼び名だけでも小雪、粉雪、牡丹雪、飛雪、綿雪、細雪、吹雪など枚挙に暇のないほどです。地域や生活環境の違いによって関心の持ち方もさまざまですが、大雪による被害ばかりではなく〈雪は豊年のしるし〉ともいわれて、積雪の量に一喜一憂するのはスキー場ばかりではないようです。 〈雪〉を詠んだ句も、古俳諧から近代現代に至るまで数多くあります。近年、世評に高かった作品に、 まだもののかたちに雪の積りをり 片山由美子 があって、雪の積り始めた様子を活写した秀句でした。すでに一面の雪に覆われているけれど起伏はあきらかに見て取れる。ちまちました写生ではなく、本質を大摑みにしています。 そこで原句。こちらは降る雪の一片に着目しています。牡丹雪でしょうか、とりわけ大きな雪片に眼を惹かれたようです。そこだけ時間がゆっくり流れているように印象されるのは「ゆつくり」の措辞に加えて句跨りの「落ちて来る」という 一句の核をなすのは、雪の大きさと速度です。この場合「積る」まで言ってしまうのは、作品の主題からは蛇足と思います。「積る」は当然の帰結であって、事実の報告にすぎない為に、余計に散文的になっています。 《添削》 雪一片ゆつくり落ちて来て大き 散文的な構文であることに変わりはありませんが、末尾に「大き」を持ってくることで、発見の驚きが生まれて、単なる事実報告から抜け出せるようです。 上五は〈雪ひとひら〉〈一雪片〉などの語も考えられます。他にも工夫してみて下さい。 降る雪の状態を読み込んだ例句をあげておきます。ご参考に。 むまさうな雪がふうはりふはりかな 一茶 雪はしづかにゆたかにはやし屍室 石田波郷 前句、「むまさうな」は「うまさうな」。通俗卑近な庶民感情を臆せず一句に取り入れた一茶らしい俳句です。 ![]() 《原句》② 静かなる衣ずれのみの初稽古 新年になってから初めて先生に稽古をつけていただく。柔道剣道といった武張ったものから、茶道に花道、歌舞音曲もあることでしょう。新春の華やぎの中にも、きりっとした緊張感が漂います。 原句からは茶の湯や能などを想像しますが、いずれであっても稽古初めの引き緊まった空気が感じられます。 ここでは「のみ」という限定は言わずもがなです。読み手は書かれていることだけを受け取るのですから、わざわざ断りを入れるには及びません。付け加えるとすれば、人物の姿なり動作なりが浮かんでくるように。となると、語順も入れ換えて、 《添削》 衣ずれの静かに進む初稽古 「衣ずれ」か〈衣擦れ〉か、また「静か」か〈しづか〉か、漢字と平仮名の表記は字 〈初稽古〉の例句を歳時記で参照しますと、稽古の内容の分かるものと分からないものがあります。 念流の矢止の術や初稽古 金子伊昔紅 これは剣道ですが、 松蒼き切戸くゞるや初稽古 佐野青陽人 こちらは何の稽古とも言ってはいません。稽古初めに師匠の家を訪れた、その時の状景を切り取ることで〈初稽古〉の気分のようなものを描いています。いわば、その気分、情趣といってもいいのですが、それが主体になっています。 原句の場合は後者になりますが、今後の作句の折には、何に主眼を置くか見極めて、具体的にするべきかどうか決定していって下さい。 ![]() 《原句》③ 運動にリハビリに良し布団干す 嵩張って重い布団を干すのは一苦労です。やれやれ骨が折れることよと文句の一つも言いたくなりますが、ちょっと見方を変えれば、これは恰好の全身運動。縮まった筋肉も伸びることでしょう。賢い家族にうまく乗せられたといったところかもしれませんが、ご本人も納得のようです。寝床にもぐった時の快さは格別ですし。 日常生活の楽しい一齣です。「リハビリ」という現代的な用語が無理なく溶け込んでいます。手直しをするとすれば、「運動に」「リハビリに」と、同類の語を重ねてまで言う必要があるだろうかという点です。作者としてはこの使い分けに実感があるでしょうが、作品化する時はどちらかを省いて一つの事柄に絞った方が、主張が鮮明に伝わります。 《添削》 リハビリに良し晴天の布団干 折角ですから具体性のある「リハビリ」の語を残して、空間を感じさせる〈晴天〉を加えました。外気の気持ちよさも出てきます。 句中に「リハビリに良し」と形容詞終止形の切れがありますから、下五を動詞にするとうるさくなります。〈布団 ![]() 《原句》④ トラウマの行方は知らず寒の水 「トラウマ」は心的外傷とか精神的外傷といわれるもので、精神医学の用語だったかと思いますが最近は一般にも使われたりしているようです。自然災害や戦争その他の体験によるショックが心身に及ぼす障害を言います。平たく言えば〈心の傷〉でしょうか。 さて、原句はそのトラウマの「行方は知らず」としていますが、主体が第三者であるか自分であるかで句の質は随分違ったものになります。自分であれば切実な内容ですし、第三者(他者)ならば傍観的で内実の伴わないものになってしまいます。 「行方は知らず」の措辞は一見投げやりです。世間一般の他者に向けられたものだとすると、このトラウマはどういう状況の、どういう他者のものであるかが語られていない、底の浅い認識というしかありません。 ここでは自分のこととして話を進めます。心に負った傷を癒すすべなく、冷たい水の面を眺めている、そんな姿を思い描いてみましょう。淋しい自己表白です。「行方は知らず」と放り出すのではなく、状況を平易に述べることにいたします。 《添削》 寒の水心の傷の癒えざるも 〈癒えざるも〉の〈も〉は詠嘆の意を表わします。やや古格な感じを受ける用法ですから、別の表現にするのなら〈癒えざりし〉でしょうか。 なお、「トラウマ」の語は昨今、軽々しく使われることも多く、添削例では別の言葉にしましたが、作者に拘りがあるのならば、 寒の水トラウマいまだ癒えざりし とすることも出来ます。 ![]() 《原句》⑤ 寺町のふくら雀も家がある 「ふくら雀」は〈寒雀〉と同じことで、寒さから身を守る為に羽毛を立てて膨らんだ姿をしているのですが、その姿も、そして語感の上からも愛嬌のある印象です。 原句は「ふくら雀 眼にした対象そのものを理屈を混えず素直に描く。そうすることで対象のいきいきした本質を摑んでいきたいと思います。 《添削》 寺町を |
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(c)masako hara |
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