わかりやすい俳句添削教室
原 雅子 いしだ


第45回 2012/2/10


《原句》①

  学び舎の春待つ銀杏幾年か

 冬の寒さもそろそろ終わりを告げる頃。近づく春を心待ちにする感情が〈春を待つ〉の季語です。
 厳しい冬の間、葉を落とし尽くして立っていた銀杏の大樹。校庭の一隅に佇んで見上げれば、四季折々に生徒たちを無言で見守ってきたこの銀杏の長い歳月が思われて、もうすぐ佳い季節になりますよ、と声をかけたくなったかもしれません。人も樹も等しく春を待ち望んでいたことでしょう。
 句意はそういうことですが、「(いく)(とせ)か」の措辞が句末にぽんと置かれているために、唐突な感じがしてしまいます。一句の中に溶け込ませるようにしてみましょう。
 そこで原句。こちらは降る雪の一片に着目しています。牡丹雪でしょうか、とりわけ大きな雪片に眼を惹かれたようです。そこだけ時間がゆっくり流れているように印象されるのは「ゆつくり」の措辞に加えて句跨りの「落ちて来る」という(ゆる)い表現の効果も(あい)()ってのことでしょう。
 一句の核をなすのは、雪の大きさと速度です。この場合「積る」まで言ってしまうのは、作品の主題からは蛇足と思います。「積る」は当然の帰結であって、事実の報告にすぎない為に、余計に散文的になっています。

《添削》

  学び舎に幾とせ春を待つ銀杏

 「幾年」の表記を〈幾とせ〉と仮名混じりにして柔らか味を加えましたが、これは作者の好みでどちらでも。




《原句》②

  鳳凰のやうなる雲や寒の空

 「鳳凰」は古くから中国に伝えられる想像上の瑞鳥。解説によれば、形態の前部は麒麟、後部は鹿、頸は蛇、尾は魚、背は亀、顎は燕、嘴は鶏に似るとあって、何ともものものしい姿です。
 作者は冬空に広がる雲の形状を奔放な感性で捉えました。凛冽たる寒気に満ちた空でなければ、このような豪奢な比喩は浮かばなかったことでしょう。「鳳凰」という個性的な見立てを支えるのは「寒の空」の「寒」ですが、これだけではまだ弱いようです。
 推測ですが、この時の空は真紅の夕焼空であったような気がするのです。そんな風に思うのは多分、「鳳凰」が五色絢爛とされていること、そして日本人である我々が抱く「鳳凰」のイメージがいわゆる〈火の鳥〉に近いということも大きいのかもしれません。
 入日の茜色に染まった冬空を荘厳するかのような雲の「鳳凰」としてみてはどうでしょう。


《添削》

  鳳凰のごとくに雲や寒茜

 〈寒茜〉は冬の夕焼です。下五は〈寒夕焼〉としてもよさそうです。
 「……のやう」も「……のごとく」も同様に直喩ですが、添削句で〈ごとく〉としたのは、硬い韻きが句の内容に似つかわしく思われるためです。




《原句》

  寒の入り全霊締める音のする

 俳句の特徴を大雑把に括りますと、客観的な写実に徹した作品と主観的な感覚を前面に出したものとに大別出来るようです。
 いずれの場合も、言葉の選択や組み立てによって、自分の気持をどれだけ表現に生かせるかが要ですが、一人よがりだったり舌足らずだったりする表現になっていないかどうかを、推敲によって正していくことになります。その為の添削による手助けです。
 さて、原句は先述した特徴のうちの後者に属します。「全霊締める音のする」は、作者が自分の感覚を何とか言葉に置き換えようとした結果です。一年中で最も寒い時節を迎えた、身の引き緊まるような冷たい空気を表わしたかったのでしょう。音がする訳はありませんけれど〈キーン〉という音なき音が聞こえるような気にさせられます。
 とはいえ、「音のする」という用語では、実際に聞こえる場合の表現にしかなりません。それに対して「全霊」は観念です。観念には観念に見合った言い方がある筈ですし、「全霊」の語自体、何を指すか曖昧です。
 意欲的な作品ですから、以上で述べた問題点を参考に推敲してほしいと思います。取り敢えずの一案として次のようにしてみました。ご参考下さい。

《添削》

  たましひのひびくごとくに寒の入

 〈寒の入〉という具体的な季語の印象を強く出す為に、他の部分を平仮名書きにしてみましたが、作者の気持に近い表記を選んで下さい。




《原句》④

  松落葉さざ波のごと敷かれをり 

 〈敷松葉〉の状景が詠まれています。敷松葉というのは、茶の湯を嗜む方はよくご存じかもしれません、炉開きの頃に茶室の路地に施して、苔を霜害から守ったり、雅趣を添えたりするものです。
 一般の庭園でも冬季、枯松葉が敷きつめられている景色を見かけることがあります。
 広葉樹とは違って、針葉樹の代表格である松の葉は鋭く繊細ですから、「さざ波のごと」には実感があります。目の利いた作品といえるでしょう。
 見たままが淡々と詠まれていますが、単なる報告に終わっていないのは、「さざ波」という把握が松葉の実態と同時にその場の美観を連想させる豊かさを備えている故かと思います。このままで出来ていますが、他に考えられる形をご参考までにあげておきます。

《添削》

  さざ波のごと松の葉の敷かれあり
  松落葉敷きてさざ波立つごとし


 「さざ波」のようだという発見を際立たせるならば、このようにするのも一法です。
 さらに、「松落葉」は間違いではありませんが、これで一つの意味を形作りますから、前句の例では単純に〈松葉〉だけにいたしました。季語の扱いの手がかりにして下さい。




《原句》⑤

  せぐくまるあれは連れ合ひ氷下魚釣り

 「氷下魚(こまい)」はタラ科の魚。北海道以北の寒海に分布するとのことで、根室・厚岸地方では冬季、氷に穴をあけて釣るそうです。冬の風物詩ともいうべき状景ですね。
 「せぐくまる」とはこごむこと。身体を前にかがめ背を丸くした姿勢です。そんな姿を遠くからみとめて「あれは連れ合い」と軽妙に言い取ってユーモアが漂います。
 数人が点在しているのか、たった一人か、特に書かれてはいませんが、この句の場合は何人か同じような恰好で釣りをしていると解釈した方が面白味が出るようです。長年連れ添った奥さんには一目でそれと分かるのでしょう。
 中七の軽妙洒脱ともいうべき言い回しが成功の鍵でした。楽しい作品です。
 なお、「氷下魚釣り」の「り」の送り仮名はこのままで間違いではありませんが、名詞として使う場合、慣用的には「り」を送らないことが多いです。
 このような表記は時代によっても変わりますし、現行の辞書にも混乱が見られ、たとえば〈魚釣〉〈鰹釣り〉などと混在していました。作者それぞれが、意識して自分の方法を決定していってほしいと思います。




(c)masako hara







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