わかりやすい俳句添削教室
原 雅子 いしだ


第46回 2012/2/17


《原句》①

  初鳴きや真つ赤なとさか枝にあり

 元旦のことを鶏旦とも言います。元日の夜明け、勢いよく響く一番鶏の鳴き声は新年の事触れとして、いつもとは打ってかわったすがすがしさで聞かれます。
 季語の項目には〈初鶏〉〈初声〉の記載がありますが、原句はいわばそのバリエーションといえるでしょう。「真っ赤なとさか」の色と相俟って、力強いめでたさを感じさせる鶏鳴です。
 「枝に」とありますからケージに押し込められているのではなく、放し飼いの鶏なのでしょう。鶏は地面を歩くだけの印象が強いものですが、案外高い木の上に飛び上がったりしているのを見たことがあります。
 さて、それにしてもこの作品の場合、樹上にいるという設定は余分なようです。鶏の姿そのものに焦点を当てた方が句の核心がはっきりするのではないでしょうか。たとえば、

《添削》

  初鳴きの真つ赤なとさか振りにけり

 下五は「(ふる)ひけり」でも。
 上五の「初鳴き」は原句の措辞をそのままにとどめましたが、先述した〈初声〉、これは元日の朝早く囀るもろもろの鳥の声を言いますが、こちらを採用してもよいでしょう。
 「初鳴きや」と切れを入れず、「の」で続けたのは、下五に〈けり〉の切れ字を使った為もありますが、一句一章の単純な構成の方が内容が生きると思うからです。




《原句》②

  悴むやそつと出したるシニアパス

 「シニアパス」、面白い素材に着目なさいました。熟年世代に入られたのでしょうか。乗物や入場券の割引・無料のパス。有難いものですが、きっとまだ使うことに馴れていないのかもしれません。堂々と使うには羞いがある、あるいはちょっと気がひける、そんな微妙な心理が詠まれています。
 日常の一断面を描いて、誰にでもよく分かる作品です。生活の一些事が詩になり得る良い例と思います。
 重い内容ではないので、上五は「や」の強い切れ字を入れずに軽く表現してみてはどうでしょう。そうすると、
  悴みてそつと出したるシニアパス
となりますが、次に考えてみたいのは「そつと出」す、という心理的な動作の部分です。
 〈悴む〉の季語は、寒さにこごえる様子を表しますが同時に心理の陰翳もひそむ言葉です。つまり中七の把握とダブってきます。作者としては是非言いたいところだったでしょうが、ここは怺えて季語の働きに委ねましょう。「そつと」の形容の代わりに、具体的にどこから出したかを言うことにして、たとえば〈鞄〉〈財布〉〈懐〉などが思いつきますが、

《添削》

  悴みて財布より出すシニアパス

としておきます。
 歳時記の例句の中から、〈悴む〉の季語が身体のみならず、心のありようを想像させる例をあげてみましょう。
  悴みてつひに衆愚のひとりなり   斎藤空華
  悴みてひとの離合も(いびつ)なる    中村草田男
 また、これとは逆に〈悴む〉と言いながら、対比的に明るい心情を述べている次のような句もあります。
  悴みて心ゆたかに人を()れ     富安風生
 用い方によって、さまざまな表現が可能だということですね。




《原句》

  風花に学童跳ねて声飛んで

 風花は晴天に雪がちらつくこと。遠方の山岳付近に起きた風雪が上層の強風に乗って、風下の山麓地域に飛来する現象と説明されています。重く垂れこめた雪空とは違った、美しいイメージです。
 学校の休み時間か下校時でしょうか。「風花」に祝福されているような、子供たちの健やかさです。「……跳ねて……飛んで」と重ねたリズムが楽しさを倍増させています。このリズムの良さが句の散文調を救っていますけれど、ここはやはり上五で切って一呼吸おきましょう。そうすることで「風花」が鮮明になりますし、空間的な広やかさも生まれます。ただ一字の違いですが、

《添削》

  風花や学童跳ねて声飛んで

といたしました。
 高浜虚子に、
  日ねもすの風花淋しからざるや
があります。こちらは大人の身で眺めた場合の風懐というべき作品です。一方、
  風花を美しと見て憂しと見て   星野立子
 立子は虚子の次女。俳句の才能を父虚子によって見出だされ育てられました。柔軟で清新な感受性を生かし、写生を基本にしましたが、掲句に見られるような女性らしい主観を覗かせた句も多く作っています。




《原句》④

  用なくて冬の蠅見る日向かな

 冬になって生き残っている蠅が、日向にじっと動かずにいるのはさすがに哀れです。飛ぶ力もないのですが、暖かい日向に這い出してきたものでしょう。それをぼんやりと、見るともなしに見ている作者の無為の時間。そんな所在無さが一句の底に流れています。
 見ようとしてみるのではない〈何となく〉という状態を表わしているのが「用なくて」の措辞で、大事な部分ですが、条件づけているのがあからさまに感じられるのが残念です。もっと自然なかたちで句の中に溶け込ませたいのですが、まずは、

《添削Ⅰ》

  冬の蠅見るともなしに日向かな


としてみます。上五に「用なくて」を置くよりは、唐突さが薄れると思いますが、〈無為の時間〉に比重をかけて表現するならば、「日向」に拘らず、自分の状況と「冬の蠅」だけに絞ってみましょう。

《添削Ⅱ》

  なすこともなく冬の蠅見てゐたる

 このようにすることも出来ます。ご参考まで。




《原句》⑤

  臘梅の(かおり)につられゆく回廊

 臘梅は名前の通り、臘のような質感の淡黄色で気品のある花です。匂いが良く、この花を好む人は多いようです。広い邸宅か寺院でしょうか、庭に面した回廊に花の香が漂って、うっとりと歩を進めていらしたのでしょう。
 雅な情趣を感じさせる作品ですから、用語にも心を配りたいものです。「つられ」る、との語はやや卑近な日常語の印象が強いので、これは一考の余地がありそうです。
 さらに、散文的な表現も気になります。このままですと、臘梅の香よりも「回廊」が句の中心になります。つまり臘梅の香は回廊を説明する構成になってしまいます。
 それらの点を工夫しますと、次のように。

《添削》

  回廊へ臘梅の香に(いざな)はる




                (c)masako hara


            







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