石田波郷の100句を読む
                


(4・5)
2013/06/24





        石田郷子



  バスを待ち大路の春をうたがはず  波郷

 昭和8年作。
 バスを待つ俳句というのはよく目にするが、とっさにこの波郷句を連想してしまう向きも少なくないはず。
 理屈で考えると、やや散文的な作品とも見えるが、散文か韻文かといえば間違いなく韻文なのである。「うたがはず」の断定的な切れの強さが、春到来の若々しい喜びを伝えてくるからだ。
 この句を見るとき、私は何となく、
  初蝶やわが三十の袖袂
という、後年の句を思い出し、大路に一つの蝶が漂っているさまを想像する。
 この年「馬酔木」では、自選同人制が実施された。そのメンバーに名を連ねたのは、軽部烏頭子、百合山羽公、瀧春一、篠田悌二郎、塚原夜潮、佐野まもる、高屋窓秋、石橋辰之助、五十﨑古郷、相生垣瓜人、佐々木綾香、そして最年少の波郷だった。俳壇では連作俳句、無季俳句などへの試みがさかんになってきた時期だった。
 そんな背景をこの句に重ねて鑑賞してみてもいいかもしれない。


  洗面のミルクに霧のうごきくる  波郷
 同年作。
 同時作に、
  新聞も匂ひ朝霧濃くすがし
  霧吹けり朝のミルクを飲みむせぶ
があり、「石橋辰之助と軽井沢、神津牧場に遊ぶ」という前書きがある。
 晩夏の草原の朝、顔を洗っていると霧が迫ってくる。その霧の濃さを「ミルクに」と表現したのだろうと思うが、もしかしたら、顔を洗ったあとに飲むべく置いてあるミルクの壜に、霧が流れてまとわりついたのかもしれない。
 句意としては少々曖昧だけれど、八月の高原の清々しさが実感されて忘れがたい句である。
 年も近い辰之助とは、よく野山へ遊びに行ったようだ。辰之助は、波郷上京の折、東京駅に迎えた三人の青年の一人。



(c)kyouko ishida
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