石田波郷の100句を読む
                


          (9) 2013/07/29




        石田郷子



  葭雀二人にされてゐたりけり   波郷

 昭和十七年作。「縁談、葛西にて」と前書きがある。
 三月の「馬酔木」の句会に出席した吉田安嬉子が見合いの相手である。本名は吉田せん。
 私たち「戦争を知らない子どもたち」の世代は、戦中はもちろん、第二次世界大戦終戦後の庶民の暮らしがどんなものだったか、いくら聞かされてもぴんとこないが、昭和十七年といえば、戦争が足音を立ててそこまで近づいて来ていた時代である。しかし、その重々しい足音は一般国民の耳にはまだ届きにくかったのだろう。ただ、波郷の周辺にもその気配は濃厚で、「京大俳句事件」が起こったのは昭和十五年。それでも俳人たちはまだ状況を楽観的に見ていたという。
 波郷は、当時、駒場のアパートに住み、「放縦なる市井彷徨時代」を送っていた。長身で寡黙な文学青年は、酒を飲むと人なつこく、しかし悪酔いはしなかったというから、人に好かれた。青年といっても三十歳を迎え、周りの人たちが世話を焼こうとしたことにもうなずける。
 見合いの席は安嬉子の義兄の家で五月に設けられた。波郷は蔵王高湯温泉への旅で、髪を切り丸坊主になっていたという。
 「葭雀」は、葭切のこと。夏の間葭原などで「ギョギョシ、ギョギョシ…」とせわしなく鳴くので、「行々子」とも呼ばれる。その声を聞きながら、さて、何を話したらいいのかと、会話の途切れてしまう二人。
 そして、翌月、二人は結婚する。新婚旅行は群馬県伊香保温泉だった。
   結婚 三句
  新娶まさをき梅雨の旅路かな
  露草の露ひかりいづまことかな
  露草の瑠璃十薬の白繁り合へ
 

(c)kyouko ishida
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