石田波郷の100句を読む


             2013/08/27


《12》

            石田郷子





  雁やのこるものみな美しき   波郷

 昭和十八年作。長男が生まれた年の九月、波郷は召集令状を受けた。主宰誌「鶴」では「風切会」を結成して綱領を掲げたばかり。
  波郷はすぐに「此の刻に当りて」という一文を「鶴」のために書いた。〈晴の令状をうけて、僕はその瞬間から人も物も凡てが美しく見え、思へて仕方がない。日本人の心の美しさはこれだと思つた。生とか死とかいふことも何処かの何物かと、一枚になつてしまつた。只管微笑である。〉は、その中の一節で、ここを読むと反射的に、掲句が浮かぶ。
 のちの自解では、〈昭和十八年九月二十三日召集令状来。雁のきのふの夕とわかちなし、夕映が昨日の如く美しかつた。何もかも急に美しく眺められた。それら悉くを残してゆかねばならぬのであつた〉と振り返っている。
  春の鳩肩に頭に戦記かな
は、翌年三月の作。軍鳩取扱兵となり華北にいたときの句で、この時に左湿性胸膜炎を病み、症状は重くなってゆく。
 なお、
  鳩とゐて朝焼雀小さしや
もこの年八月の作と知った。筆者は長年、この句の背景に終戦後の焦土を思い描いていたのである。
  雷落ちて火柱見せよ胸の上
は、七月の作。
    一子修大に
  秋の風萬の禱りを汝一人に
は十月の作。本土での空襲が激しさを増し、「鶴」も終刊になった。
 〈日本人の心の美しさはこれだと思つた〉という一言は、今まで目にしてきた太平洋戦争を扱った多くの記録・小説・映画などを目まぐるしく想起させ、筆者の心を激しく揺さぶる。
 〈俳句は飽くまでも韻文の髄の髄である。標語やスローガンの如く言葉を極度に誇張して生命をうしなはせたものとは全然別のものである。が、人は俳句がスローガンを叫び、標語を装つてゐることを不思議としてゐない。益々不撓不屈長期戦を勝抜かねばならぬ文芸の一翼たる俳句が俳句の本質を売つて、そこに何の真の文芸報国があろうか〉。(「この刻に当りて」より)




(c)kyouko ishida


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