石田波郷の100句を読む


             2013/09/25


《14》

            石田郷子





  立春の米こぼれをり葛西橋   波郷

 昭和二十一年作。
 東京大空襲で、波郷の妻・あき子の母と二人の妹たちは亡くなっていた。義父と共に、埼玉の親戚へ疎開した波郷一家は、空襲のちょうど一年後には江東区・砂町の焼け跡に義父が建てた家に転居した。
 埼玉の親戚とは、あき子の母の実家で、あき子にとっては叔父に当たる人の家だった。空襲の前日にあき子と修大は疎開しており、それはあき子の母の強い勧めによるものだったという。修大さんの著書『わが父波郷』によると、叔父という人の人柄も温厚だったようだが、疎開先での生活は、あき子の明るくかいがいしい働きぶりで乗り切ったようだ。
 義父が砂町に家を建てる間、あき子の義兄である吉田勳司の家の二階に、波郷たちは仮住まいをしていた。掲句はその頃の作である。
 当時の葛西橋は木造で、戦後の復興に人々の往来は忙しかっただろう。貴重だった米がこぼれている情景は、新しい時代の幕開けを思わせる吉兆だったのかもしれない。





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