昭和23年作。「霜の墓」が抱き起こされたのか、波郷が抱き起こされたのかと、解釈が分かれる句として知られるが、たいていの読者は、一読して「霜の墓」での切れの詠嘆が強い句だと感じるだろう。 病床吟であり、熱が高く自分では起き上がれない状況だったのだろう。 〈霜晴の明るい日だつたが、妻が肩の下に手を入れて抱き起こしてくれると、開け放した窓の後方から霜の日を浴びて輝く墓が、やきつくやうに目に入つた〉と波郷自身は書いている。 下五の「見たり」での切れと、二箇所の切れがある句なのである。 自宅での療養を余儀なくされ、「鶴」の雑詠は石塚友二、石川桂郎の代選となった。