昭和23年作。病状が悪化して、「鶴」の選句も休んだ波郷だったが、「これは死ぬかもしれない」と覚悟して、いったん退いた秋桜子主宰の「馬酔木」に復帰も果たしていた。師への不義理を気にしていたのだろう。 清瀬村東京療養所に入所したのは春。松の芯の揃い立つさまは、生命感に溢れ、人目を引く。 故郷・松山から、母も上京した。 春夕べ襖に手かけ母来給ふ は、その折の作。闘病を綴った随筆に、〈三月半ば母が上京してきた。突然だつた。私を看病する為、始めて長道中を心細い旅をつゞけてきた母も、実際には何もすることしなかつた。母はそれが淋しさうだつた〉と記されている。襖は療養所の襖だろう。信心深く物静かな母の姿が想像される。 満天星に隠るゝ母をいつ見むや は、そんな母が故郷に引き上げる姿を見送った時の感慨である。