2014/01/14 《26》 |
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枯園を |
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昭和24年作。結核菌を持ちながら存える人もいれば、あっけなく亡くなる人もいる。療養所では、食事を取っているさなかに、窓の外を運ばれてゆく亡骸を見ることもたびたびだったはずである。明日は我が身かもしれないという思いが一様に患者達の胸を過ぎり、凍り付くような沈黙がその場を満たす。それが日常なのだ。 「枯園」を背景に据えたのは実写だが、この句の主体が枯園の点景として進む「亡骸」であることを強調している。 押し黙った生者たちの視線のなまなましさを一身に集めて、もはや「もの」になりきってしまった人物が去って行くのである。 この句よりもよく知られているであろう作品、 綿虫やそこは屍の出でゆく門 は、もう少しあとの「屍の眺め」と題された作品群の冒頭にある。 |
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(c)kyouko ishida |
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