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2009年2月10日 | |||
【4】節分の主役 |
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節分の主役は何と言っても鬼である。冬と春との区切り、つまり立春の前日、新しい年の始まりにあたって、悪しきものを追いはらおうとする行事が行われ、その悪しきものの具体的な姿として鬼がある。 中国でも行われていた追儺(ついな)や古くから続く寺院行事の修正会(しゅしょうえ)などにもこうした年の変わり目にあたって悪しきものを生活のなかから除去しようとする意図が見いだせる。そうした心のありようも長い歴史を持つ知恵といえるだろう。「明日立春、故及昏、…因唱鬼外福内四字、…」(『臥雲日件録抜尤』文安四年〔一四四七〕十二月二十四日条)といった中世の寺院記録のなかにも「鬼は外、福は内」というなじみ深い言葉を見出すことができるのである。 各地の民俗的な行事のなかにも鬼の姿が、さまざまなかたちで伝えられている。有名な秋田県男鹿半島のナマハゲは、大晦日や小正月の行事ではあるが、同じ感覚のなかで育まれたものといえるだろう。ナマハゲは単なる鬼ではなく、地域の人びとに訓戒を与える存在でもあるから、神にも近い存在である。現代でも、家や地域の節分行事で、誰が鬼になるか、といった話題は単純なようでいて、一筋縄ではいかないだろう。 さて、節分の晩、鬼は豆によって追いはらわれてしまうのだが、その鬼はどこへ行くのか。実は、邪気そのものである鬼を積極的に迎え入れ、もてなす習俗が伝えられている。このことは、民俗的な鬼の性格を考える上でも興味深い。 東京都小平市小川には「鬼の宿」という行事を伝えている旧家が何軒かある。この行事を詳細に調査した水野道子の報告(「鬼の宿」『西郊民俗』九四号、一九八一年、同一一四号、一九八六年)によれば、これらの旧家では、節分の晩に豆をまくことをせず、「鬼は外」と叫ぶこともしない。逆にイエの中に鬼を迎える場所を設け、小豆飯を炊き、御神酒を供え、灯明をともしておく。そして深夜十二時を過ぎる頃になるとこれらをサンダワラに乗せて、四つ角や十字路に置いてくるのだという。その時には決して振り返っては行けないという禁忌を伴う場合もあった。 ムラの中の特定のイエだけが、鬼を追いはらわずに逆に迎え入れ、特別に祀るのは、どういうわけだろうか。類似の例を多く集めて比較しなくてはならないが、一応の道筋を考えておこう。 ここでの鬼はナマハゲなどと同じように邪気そのものというよりも、それらをつかさどる存在である。その鬼を祀るということは、やはり、邪気をはらう力を期待するということになるのであろう。 また、大晦日という年の変わり目に、死者を祀ることは中世まで広く行われていたし、ミタマメシという東北地方に伝えられていた正月の習俗は、先祖の霊を祀る感覚が残ったものと解釈することができる。正月などの時間の節目には、単純に新年を言祝ぎ、めでたいというだけではない種々の祭儀が行われるのであり、小平の「鬼の宿」もそうした民俗的な神観念が節分という行事に引き寄せられて形成されたものだといえるだろう。 |
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節分の夜の更け鬼気も収れり 相生垣瓜人 ![]() |
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