神々の歳時記     小池淳一
      

2009年2月28日
【6】一つ目小僧が来る日
一つ目小僧とはその名の通り目が一つしかない妖怪である。その場合、目の位置がどこになるかが問題となる。額の真ん中にらんらんと光る大きな目というのが近世あたりから広がった絵画によるイメージである。
 しかし、実は片目だけが何らかの理由で強調されたのがこの妖怪の本来のイメージではないか、というのが民俗学の見解である。その理由としては、神事のために飼っていた生け贄の標識として片目を潰すような習慣がかつてはあったのではないか、という見解や、鍛冶など目を酷使する職業に対する印象が展開したのだろうとする説などがある。いずれにしてもその場合は、通常の両目のどちらか一方が欠けている姿を想定すればよい。
 このような妖怪の起源もしくは原像への探求は研究の醍醐味の一つであるが、妖怪という伝承が提起する問題はそれだけではない。妖怪のなかには時を定めて訪れるとされるものがあり、その背景には起源論だけではない問題が隠されている。
 東京から神奈川にかけての丘陵地帯の農村ではコト八日という特殊な日取りに関する伝承がかつては濃厚に伝えられていた。この日には一つ目小僧がやって来るというのである。コト八日とは、十二月八日と二月八日をさし、一方をコト始めとし、残りをコト納めと解することが多いのだが、全国的にみると、どちらとも一定せず、地方によっては逆転している場合も少なくない。共通しているのは、何らかの神霊を祀る日であって、かなり強烈に物忌みをするべきであるという感覚があったという点である。
 その神霊のイメージ、さらには物忌みとして家のなかで心静かに過ごす、という感覚がカミを畏れる感覚につながり、さらには恐ろしいものを想像して一つ目小僧という妖怪がやってくるのだというように変化していったのである。つまり多摩丘陵の一つ目小僧の伝承はそうしたコト八日の物忌み感覚が妖怪化したものといえる。人びとの感覚が妖怪のかたちで伝えられてきたのである。
 興味深いのは、そうしたコト八日をめぐる伝承としては一つ目小僧以外に、山梨県南都留郡鳴沢村などでは三つ目小僧が来るといっていたし、北関東では広くダイマナグが来るのだという場合が多かった(土橋里木「こと八日と山の神」『民間伝承』十四巻六号、一九五〇年)。ダイマナグというのは大きな目という意味で、つまり、この日には目の妖怪が想像されたのである。
 一つにしろ、三つにしろ、巨大であるにしろ、そこに共通するのは目に対する何らかの畏れの感情である。コト八日の妖怪が目にまつわって想像される背景には、この妖怪を撃退するためには竹で編んだ目籠を屋外に吊すという農村のコト八日の行事内容にかかわりがあるとされる。しかし籠の編み目と目に特徴のある妖怪とのことばの上での対応ばかりではなく、生命あるものの目に対する形容しがたい感覚も無視できないだろう。
 「目は口ほどにものを言う」と言い習わされている。確かにことばは発しないものの、感情は目にも宿ることがある。コト八日の一つ目小僧はそうした目をめぐる感覚の果てに造形されたとも言えるだろう。


  事始忘れし恩のおもはるる    松瀬青々






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